記憶の足音

今日は仕事がオフだったので、以前から気になっていた展示物を見に博物館へ行った。
懐かしい昭和の暮らしや風景・・・それは民家の茶の間だったり、バス停に佇む人々だったり・・・を切り取って、それをミニチュア模型で表現したもの。そのミニチュア模型が大変精密に出来ており、さらにストーリーが加わることによって、何とも言えないノスタルジックな雰囲気をかもし出している。最近昭和が懐かしい、という声を聞くことがある。デジタル化され便利になった21世紀の現在だが、私達は昭和の時代に何か忘れ物をしてきたのだろうか・・・・

ミニチュア模型で表された家族の団欒は私の記憶にある風景だ。そこにいる母親はまだ若い頃の私の母に似ている。おかっぱ頭の少女は幼い頃の自分だろうか・・・ 白黒の古い映画が時として大変新しく感じられるように、そこにある風景にある種のモダンな佇まいを感じる。
模型を見ながら、子供の頃の記憶が浮かんでは消える。
記憶というのは不思議なものである。普段はどこかで眠っているのに、何かのきっかけでズルズルと芋蔓式に脳裏に突然現れるのである。時には音の記憶や匂いの記憶を伴って。

北海道でも有数の寒冷地と言われる町で育った私が一番に思い出すのが、寒い真冬の登校風景だ。友達と積もったばかりのパウダースノーの中にわざと入って、雪の中を泳ぎながら学校へ行った日があった。道路がカチカチのアイスバンになっても、転んで怪我をするような子はいなかった。耳が凍りそうなくらい冷たくなっても平気だった。
また、ストーブでしっかり暖められた父の書斎にあった分厚い文学全集。結局あの本を私は読むことはなかったのだが、父はまだ持っているのだろうか。そんな記憶の断片が浮かぶ。

人間は誰にでも忘れたい悲しい記憶があるだろう。また楽しかった記憶に支えられてがんばれる時もある。ただ、取り立てて表舞台に乗せる必要のない日常の小さな記憶こそが、生きてきた軌跡なのかもしれない。これからどんな日常の記憶を新たに刻めるのだろうか・・・そんなことを思いながら博物館を後にした。
by bake-cat | 2008-05-09 23:58 | ひとりごと

ばけねこです. 美しい自然に囲まれた小さな町で細々と音楽活動をしています


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