選択

5年生の息子の授業参観に出掛けた。
今日の授業は道徳。
「手品師」という話のプリントを先生が配った。

『貧しい手品師がいた。
大劇場の舞台に立つことを夢見ながらも、明日のパンにも事欠く生活をしている。
ある時、父親を亡くした寂しそうな少年に出会う。
この少年の前で手品を披露したところ、大変喜ばれ、少年も元気そうになった。
そこで、明日も手品を見せてあげる、と約束して別れた。

その夜、手品師は大劇場の支配人から電話をもらう。
出演予定の手品師が手術のために出られなくなった、舞台に穴をあけるわけにはいかない、急遽出演してくれないか、というオファーであった。
夢にまで見た大劇場・・・しかし明日は少年との約束があるではないか。

大劇場か少年との約束か・・・・』

といった話である。
途中まで聞いて、私の中にモヤモヤしたものが湧き上がった。
この話の結論がもう見えている。

当然、授業では自分が手品師の立場ならどちらを選ぶか、といった話に展開した。
大部分の生徒が「少年との約束を守る」という道を選び、大劇場を選んだ子どもは少数だった。
「約束は絶対に守るべきだ」
「少年が可哀想」といった理由が挙げられる。
大劇場を選んだ子ども達はなんとなくトーンダウンしている。
先生が話の最後の部分を配ると、『手品師はちょっと迷いはしたが、支配人にきっぱりと断って、少年のもとへ駆けつけた』という予想通りの結末が書かれてあった。

この話は5年生の道徳の副読本に収められている話である。
教材として使うならば、結論が書かれていない方が良かったな、と思った。
行間に「大きな夢を断念しても、貧しい少年との約束を守らなくてはいけない」といったニュアンスが込められており、子ども達も誘導されるままに少年との約束を選んでしまったように見受けられた。

検索してみると、この話は道徳教育の材料としてよく使われるらしく、作者は「崇高なまでの誠実な行動」を目的にこの話を書いたという。
自分の夢を犠牲にしても少年との約束を選ぶのは確かに崇高かもしれないが、そんなに簡単に結論付けていいのだろうか。
大劇場で待っている観客との約束はどうなのだろう?
自分との約束は?
いや、どちらを選ぼうが私は構わないのだが、苦渋の決断をする時に当然湧いてくる迷いや、後悔、苦しみがごっそり抜け落ちていることに違和感がある。
その部分を抜きにして、崇高なる、とか誠実といった美談に終わっている。
むしろ、2つの約束を両立させる方法を模索するとか、大劇場を選ぶとこういうプラス面もありますよ、といった複合的な視点で議論させる・・・・しかし正解はひとつではないんだよ、といった方向に向かわせてくれたら良かったと思った。

夜、娘にこの話をしたら、高校の道徳や人権教育はもっと脅迫的で、最初から結論が決まっていて、もう意見を言う隙もない、と話していた。
小学生も高学年になると色々なことが理解できるようになり、大人の言葉の裏に隠れているニュアンスや、本音と建前も感じ取れるに違いない。
むしろこの時期にもう少し自由に議論させる雰囲気があってもいいのではないか。
全ての事柄に「落とし所」がなくても構わない。
そう考えると、物事を断言することの恐ろしさも分ってくる。

そんなことを考えながら授業を聞いた。
by bake-cat | 2008-11-06 16:23 | 迷い