春の陽気

今日は小学校の卒業式があり、町中でも正装した親子の姿を見かけた。
2~3日前から急に暖かくなり、半袖で遊ぶ子供たちがいる。春を通り越して初夏になったかのようだ。

自宅前の植えたスイセンの蕾がふくらみ、もう少しで咲きそうな気配である。もともとこのスイセンは母の実家に咲いていた。母の実家は小さな寺なのだが、住職だった祖父が亡くなった後は残念ながら実質的な跡継ぎがいない。京都の寺に就職した従兄弟が時折戻っているらしいが、それでも人の住まなくなった寺の姿は寂しい限りだ。それで本堂の前に可憐な花を咲かせていたスイセンをこっそり持ち帰り、自宅前に植えた。しばらく蕾をつけなかったので、もうこのスイセンは咲かないのだろうと諦めていたのだが、今年は元気な蕾がいくつか出てきた。気温が上がり、もうすぐ美しい花を咲かせるであろう。育つものの存在は常に希望を与えてくれる。

話はガラッと変わるが、食事や飲み会の誘惑にめっぽう弱い私だが、生活必需品や衣類の購入には案外財布の紐が硬い。というか外食に関して財布の紐が緩すぎる、と言った方が正しいのかもしれない。今年は娘が進学するし、節約モードで過ごしているが、ふらりと入ったブティックで衝動買いをしてしまった。グレーのノースリーブのブラウスと白のシースルーのトップス。ブラウスの襟元にはリボンが付いていて肩の辺りで結ぶようになっている。これは親戚の結婚式で来月着る予定だ。シースルートップスは黒いインナーと合わせて着ようか、などと想像してみる。春の陽気ですっかり浮き足立っている。ふと、先日靴屋で見かけた黒の素敵なパンプスを思い出したが、心を鬼にして我慢する。財布のヒモと言いながら、よく考えてみれば娘のスーツケースを買った時には半額になっていたバッグを、そしてオークションではジャケットを買ったりして、決して節約はしていないではないか。娘は欲しい物があれこれ出てくると、「物欲がヤバイ・・・」と自分に呪文を繰り返して我慢をしているらしい。私も彼女を見習って、少し浮き足立った気持ちを静めなくては。しかしこの陽気・・・・しばらくは浮かれてみようか。
by bake-cat | 2009-03-19 22:24 | どうでもいい話

外出

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花粉症の人にはつらい季節がやって来たようだ。三角形の立体マスクをした人をよく見かける。その上、春の風に乗って黄砂が飛来するため、空気が黄色く濁ったかのように感じることがある。こういったマイナス面があるのは否めないが、それでも日増しに暖かくなっていくことがひたすら嬉しい。重い鎧を外すような開放感を感じる。

昨日は友人家族と食事をするために外出したが、エメラルド色に光る海と雪の残った山の雄大な景色を堪能した。こうして家族で町を出るのは本当に久しぶりである。

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ふくらみ始めた桜の蕾を見ていると、山頂の雪がどこか不釣合いな気がしてくるが、山の春はまだ遠いのだろう。
一緒に食事をした友人の葡萄酒さんとはかれこれ13~14年くらいの付き合いになるが、子供も同じ年で一緒に大きくなってきた。その時々での色々な出来事が思い起こされるが、2人とも来月からは大学生になるのである。酒豪の葡萄酒さんと一緒にいると、話も笑いも涙も尽きない。周りの人達に言わせると、私も彼女も物事をはっきり言い過ぎるらしいのだが、この勢いはどうやら止まらないようだ。

信頼のおける友人との時間は、私にとってかけがえのない大切なひとときである。帰りは暗くなってエメラルド色の海も美しい山も見えなかったが、温まった心に満足しながら帰路に着いた(明日からまたがんばろう)
by bake-cat | 2009-03-16 23:47 | 思考の散策

春の足音

気がつくと2月が足早に過ぎ去って、3月も勢い良く駆けていきそうな雰囲気である。
隣家の梅の木には花が満開。春の足音を感じるこの頃だ。

2月下旬からインフルエンザでダウンしてすっきりしない日々を過ごしたけれど、やっと回復して日常の雑務をこなせるようになってきた。その間に娘は高校を卒業し、4月からの大学生活の備えて夫と東京のアパートを決め、春から6年生になる息子は卒業生を送る会の企画や司会で忙しい日々を過ごした。4月からの新しい一歩のために準備をしたり、少しだけ足踏みを繰り返したりしながら過ごすのがこの時期かもしれない。大人になると大きく飛躍したり環境を変えたりすることが難しくなるけれど、子ども達が新しい風を運んでくれることで、また何か新しい展開があるかもしれない。
by bake-cat | 2009-03-10 10:01 | ひとりごと

脳という一人部屋

立春を過ぎた頃から、空気が軽くなったような、風がまろやかになったような気がしていた。
気が早いと知りながらも「春」という文字が頭をよぎる。
今年は久しぶりの大雪に見舞われたが、その雪も姿を消し、ブーツや長靴の必要のない日々が戻ってきた。人に会うと、「このまま春になるといいですね」が挨拶代わりになっている。

茂木健一郎の「生きて死ぬ私」という本を読み終えた。
私が最近考えていたことや、言語化できないけれど自分の中にモヤモヤした状態で溜まっていたことが、偶然にも分りやすい文章で綴られている。正確なデーターを基に理論的に構築していかなくてはいけないサイエンスの中に、ヒューマニティーの問題や心の謎を織り込もうとしている若い茂木健一郎の姿がある(著者33歳の書)。科学と心という、ある意味交わることが難しい2つの世界を繋ぎ合わせながら、人間の心の闇の世界を脳科学的に見てみたい、という思いが散りばめられている。
 
私は子供の頃から、脳という身体の一部分に捕らわれ、そこから決して脱出することが出来ない人間の運命を呪ってきたような気がする。そしてこの闇の世界は意識、無意識を含めてあまりに壮大で自分の手には負えない代物であることも。それは年齢を重ねながら、人生経験を積んでも、何の解決の糸口すら見えない怪物のようだ。そういえば、子供の頃、他人の脳みその中が怖くて仕方がない時期があった。小さな頭蓋骨に納められた深遠な世界。決して外からは見えない世界。

8,9歳くらいの頃だが、考えを煮詰めていくうちに、自分以外は人間ではない、というとんでもない結論に達してしまった。外見として見える部分と、脳ミソの中は全然違った代物だ。そう考えると合点がいくような気がした。
笑い話になるが、ある時この疑問に対して正面からぶつかろう、という思いが突然湧きあがった。そして、いつも一緒に遊んでいた友達の春美ちゃんに、その疑問を投げかけた。
「正直に答えてほしいんだけど・・・・・ あなた人間じゃないでしょ?」
「・・・・・・・」
「私を騙しているでしょう。あなたは人間じゃない」
「人間よ」
「だから、正直に答えてって言ったでしょ」
こんな突拍子もないことを突然言われて、春美ちゃんも驚いたことだろう。
面食らったような表情を今でも覚えている。そして押し問答の末、春美ちゃんはすっかり怒ってしまった。その後も時々、私の心に浮かんだ疑問を彼女に投げかけては、困らせていたような記憶もある。それでも仲違いしなかったのは、彼女の心の広さのお陰かもしれない。

茂木健一郎の本を読みながら、こういった幼い日の記憶が甦った。
あれから長い年月が経ったが、脳ミソの世界は解決するどころか、ますます不可思議な存在として自分を取り囲んでいる。遠くに住む友人の顔や姿を思い出したり、声を心の中で再現したり、以前食べた美味しい料理の匂いや食感も思い出すことが出来るが、それだって私の脳が勝手に作り出した幻影かもしれない。やはり脳ミソから脱出することは出来ないらしい。

若者から年配の人まで、それぞれが独自の心の問題で悩んでいるのを見るにつけ、この深遠な世界に恐れを抱きながら、同時に震えるほど魅せられてしまう自分がいるのである。
by bake-cat | 2009-02-11 23:30 | 記憶

皐月

シューマンの歌曲に「美しき五月に」という作品がある。
萌えるような新緑、匂いたつ五月に心を寄せる人は多い。
しかしながら、シューマンの国、ドイツとは違って、ここにはやがてじめじめした梅雨が、そしてその後はアマゾン(行ったことはないが)並みの暑い夏、灼熱地獄のような日々が待っているのだが。
それでもこの若葉の時期は心の中に心地よい風を吹かせてくれる。

自然の忍耐強さに感心することがある。
暗く重い雲が覆いかぶさる真冬日が続くと、このまま凍りついた日々の中に閉ざされてしまうのではないだろうか、と不安に思う。また、焼け付くような真夏の太陽の下にいると、もう二度と涼しい風を感じる日が巡ってこないような気がすることもある。
人間が悲しみに沈んだり、喜びに舞い上がったりしている間に、地球は静かに忍耐強く同じ軌道を回り続ける。自然界の大きな日常の上で一喜一憂するのが人間なのか。

自分が自分の肉体をもってしか存在しないことを残念に感じたことがある。
そして子供の頃、自分の肉体が滅びた時に心の居場所がどこになるのだろうか、と考えて夜も眠れぬくらい怖くなったこともある。そんな体験はだれにでもあるだろう。
でも自分の肉体が滅びても、地球は変わらず自転公転を繰り返し、春になれば美しい花を咲かせてくれる。そう思うと少し心が救われるような気がした。ちっぽけな自分という存在が、宇宙という大きな器に抱かれていることで安心しようとしたのかもしれない。
そんな子供時代から何十年も経って、いわゆる「大人」になった今でも、あの頃と変わらず居場所を求め、社会の中で流動的にウロウロする情けない自分がいる。
子供の頃見ていた大人は、強固で動かない存在のように思えたのだが。
なーんだ、根っこの部分は何も変わってないじゃない、「大人」になった自分は笑うしかない。

生命の息吹を感じるこの季節、自然のあまりの力強さに少々押され気味である。
もう一歩踏み出せない自分に、ちっぽけな脳ミソはこの際閉じて、もっと「美しき五月」を全身で体感しなければ、という声が聞こえる。
by bake-cat | 2008-05-21 15:33 | ひとりごと

春を食する




自宅の前に豊かに咲き誇っていた八重桜が終わろうとしている。
毎年4月の下旬から10日間、ピアノの部屋の窓からその満開のふくよかな花びらを楽しむことが出来る。そういえば、八重桜の花びらは塩漬けにすると美味しい、と知人から聞いていたのに、今年も収穫することなく終わってしまった。
そして今はつつじの季節。町のあちこちで、紅色やピンクに混ざって時折白いつつじも顔を覗かせている。

旬のものを楽しみたいと常々思っている。
今年は初めて「あぶら芽」という山菜を食べた。知人からタラの芽より美味しいと聞いていたが、口にしたのは始めてだった。地元の人達は「あぶら芽」と呼んでいるが、正確には「こしあぶら」と言うらしい。店には売っていない、と聞くとますます気になる。自分の山を持っている人からお裾分けしてもらうのだと言う。確かにスーパーで見かけたことはないのだが、偶然にも「自分の山を持っている人」が出荷したあぶら芽を農協で見つけることが出来た。
天ぷらにすると、かすかな苦味が口に広がるものの、後味はさっぱりしていて、癖になる味である。なかなか美味しい。ビールにもよく合う。
大人の味だと思うのだが、10歳の息子もバクバク口に運ぶ。

そして昨夜は「たけのこご飯」と「焼きたけのこ」を作った。
食感がたまらなくいい。柔らかいご飯の中でも独特の食感を残しながら、程よく周りと調和している。
毎年、春には必ず店に並ぶ律儀な奴だ。
そして色々な料理法に対応する「マルチ」な奴でもある。
by bake-cat | 2008-05-07 22:56 | 美味しい話