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崩れる山

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日曜日の午後、紅葉を見ようと車を走らせたが、最初に出会ったのがこのススキである。秋になると、いたる所にこのススキが見られるが、日本の秋らしいほのぼのした光景であった。県境を越えたこの山間部は合併により「市」になったが、まるで桃太郎の郷のように穏やかで、どこか浮世離れした雰囲気が漂っている。
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さらに進んで向かったのが、西の富士山と言われる大山である。紅葉にはまだ早い。でも少しずつ色づきながら秋色に染まりつつあるのが分かる。所々に夏の空を残しながら、でも確実に秋が忍び寄っている。途中、バイクの一群に出会った。全国から集まったであろうバイク仲間が連なって走っている。若者だけではない。団塊の世代くらいの集団もいる。男の夢、というものなのだろうか。
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ブナの木のトンネルを通り抜ける。まだ紅葉の兆しはないが、木漏れ日が気持ちよい。

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大山の東側は山肌が崩れつつあるのがよく見える。
「崩れる山は崩れるしかない。それを砂防ダムを作ったり、無理やり岩を持ち上げたり小賢しいことをするのは全くナンセンスだ。美しいものは不安定で崩れやすいのが常だ」という夫のいつもの自論を聞く。物質のプログラムを考える習慣を常日頃から目の当りにしながら、私には知識がない。結局、美しいか美しくないか、感動したか、しなかったか、という所に納まってしまうのである。それにしてもこの日は観光客も多かった。途中、イワナ料理を食べさせる店があった。知人が美味しいと教えてくれた店だが、まだ一度も行ったことがない。紅葉を眺めながら、イワナの塩焼きと日本酒・・・・・ちょっと妄想の世界に入ってしまった。

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大山を背にして日本海に降りてくると、コスモス畑を発見。庭で丹精込めて育てる花も良いが、こういう雑草のような自然体の植物が好きである。調べてみると意外にも原産地はメキシコであった。それがヨーロッパに伝わり、日本には明治時代にイタリア人によって持ち込まれたらしい。どこでも目にするコスモスだが、案外長旅を経て伝わってきたのである。


f0166114_8102731.jpg(おまけ)
家に帰ると知人が丹波の枝豆を届けてくれていた。食通のこの知人は、もしかして枝豆のためだけに丹波へ出向いたのでないか、と話している。歯応えのある大変美味しい枝豆であった。これがあの有名な黒豆になるそうである。秋を探す1日はこの枝豆で完了した。
by bake-cat | 2008-10-22 23:00 | 一休み

流れていく時間

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数日前のことだが、雲が帯状に広がって面白い形状を作っていたことがある。すぐに写真を撮ったが、偶然にも娘も同じような写真を撮っていた。いつも思うのだが子供のほうがずっと魅力的な写真を撮る。
それにしても過ごしやすい秋晴れの日が続く。一年を通して一番過ごしやすく美しい時期である、と自分に言い聞かせている。まだ暖房を入れたり、コートを着て歩くには間がある。この時期を楽しまなくてはと思いつつ、あっという間に過ぎてしまうのもこの時期である。11月下旬に仲間と演奏するコンサートがあり、その準備やリハーサルが始まっている。また子供の学校の発表会や参観日、給食試食会があるのもこの時期である。夫は相変わらず千客万来で、また自身も出張が多い。気が付くと紅葉が終わってしまった、ということがないように、時間を見つけては美しく色づき始める木々を眺めたり、今年こそ山歩きをしなくては、と夫と話したりしている。何か特別なことをしているわけではないのに、時間が手のひらからこぼれ落ちるように流れ出していくのを止められない。子供の頃は時間が経つのがあんなにゆっくりだったのに、と未練がましく思うこともある。未読の本が溜まり、あれこれ雑用の心配をしながら、遠くにいる友達の顔を思い浮かべたりしている。

高3の娘はある意味、教育熱心ではない両親に育てられ、その付けを払うかのごとく夜遅くまで勉強をしている。娘の通う高校では、ガチガチに凝り固まった頭の教師にガチガチの発想を叩き付けられる局面があり、息苦しくなると、アバウトで原始的な夫と私に助けを求めてくるのである。「だいたい受験問題は答えが決まっているではないか。そういうことばかりを、ガチガチに型にはめて小さいときから塾に通ってまで鍛え上げるのは良くない。本当の学問は答えが決まってないことをやるものだ。答えの決まったことだけをやるような人間になるな」と相変わらず夫は繰り返す。それは事実かもしれないが、受験まであと数ヶ月しかない娘に原始原則論を繰り返すのは酷ではないか、と心配することもある。しかし娘も随分と成長したものだ。興味深そうに父親の話を聞いている。数年前の彼女だったら反抗的な態度を剥きだしにしてむくれていただろう。今では聞く耳を持ち合わせている。厳しい現実の受験システムと若干浮世の世界に漂う親とのギャップの中で、バランスをとりながら、案外それが生き抜きになったりしているようである。自分自身で硬くなりそうな思考の関節を揉みほぐそうとしているようにも見える。

彼女はあれこれ悩んだ末に建築科を受けることにしたらしいが、「本当に建築をやりたいのか自分でも分からない」と呟いている。「今、決めつける必要はない。17歳で自分のことが分かるはずもないし、人生も決まらないんだよ」と私達は何度も繰り返す。本当に若いのだ。彼女が私達の年になる頃、世の中がどのようになっているのかは想像も出来ない。既成の概念に囚われすぎることなく、自分の頭で考えて生きていって欲しい、と私達はどこかで願っているようだ。

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よく通る道端にこんもりとコスモスが・・・・やっと写真に収められました。
by bake-cat | 2008-10-15 21:27 | 迷い