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またしても・・・・

f0166114_9501564.jpg朝晩めっきり冷えるようになってきたこの頃だが、「そろそろいかが?」と恒例になった研究会のお誘いが・・・ 相手はもちろん友人の葡萄酒夫人さま。遠く関東に住む友人のSちゃんからも「私も研究会に出たい」とメールが来ていたが、これだけ距離があるとそれもままならない。いつか研究会を県外でも開催しなくては・・・

午後2時に待ち合わせのカフェに行くと、葡萄酒夫人はすでに到着。いつもシックな装いである。ランチメニューと一緒に「ケーキもいかがですか」とオーダーを取りに来た若いウエートレスの女性に、「生2つ」を注文して今年最後の研究会が始まった。葡萄酒夫人の住む町には素敵なカフェやバーがいくつかある。こうして昼間からゆっくり座って辺りを見回すと、ランチタイムの後はお客があまり来ないことも判明。平日のこの時間にお茶(お酒)を飲む人はいないらしい。日が暮れてからは、カフェの隣のブティックを覗き、葡萄酒夫人がずっと気になっていたというお店に飛び入りで入る。そこはまるで江戸時代の旅籠屋の雰囲気。

外とも中とも区別が付きにくい土間風の廊下を通って、小さな個室に案内される。途中には怪しいシェードランプが沢山置いてあった。個室はやはり純和風の作りながら、壁には真っ赤な和紙の壁紙が。そしてゆったり流れるジャズの調べ。この部屋で2人でもつ鍋を食べながら、研究会の締めくくりをした。和風建築はけっこう許容量は広く、アレンジでは如何ほどにでも変身させて楽しむことが出来るらしい。低い木造の天井がけっこう密な雰囲気を醸し出し、内緒話の多い(その割に声はデカイ)研究会にはピッタリであった。自分が千鳥足だったので、幻想的な異次元空間に迷い込んだような錯覚を覚えたが、再度訪れてみたいお店である。
柚子胡椒でいただくモツ鍋は美味しかったが、葡萄酒夫人には甘過ぎたらしい。しっかり唐辛子を注文していた。
いつものように本音トーク炸裂で長時間の研究会を無事に終了し、シンデレラ終電で帰宅した。それにしても終電に乗っている人は疲れた顔が多い。普段めったに電車には乗らないので、とても新鮮に感じた。ふと、「忘年会」という言葉が浮かんだ。来月になるともうそんな時期になる。息子はすでにクリスマスプレゼントの話をしているし、最近は人を呼ぶこともめっきり減ってしまった。寒くなったけど、外で七輪バーベキューをして葡萄酒夫妻を呼びたいと考えたり、久しぶりにあれこれ料理をしてみたい気にもなった。昨年は娘の受験でなんとなく気忙しかったが、今年は楽しい計画を立てながら、締めくくりたいものだ。
by bake-cat | 2009-11-17 10:59 | 美味しい話

怪しい研究会~マチネ

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木曜日に友人のテキーラさんから「明日、時間ある?」とメールが届いた。以前、このブログでも紹介したが、私とテキーラさんは時折「研究会」と称する怪しい会合を開いている。生憎、金曜日の夜は仕事が入っていたので諦めかけたが、違う町に住んでいてなかなか会うことが出来ない。そこで、思い切って「マチネ」の研究会を開くことにした。
朝、11時半、いつものカフェがオープンと同時に待ち合わせをする。古い銀行を改築した建物なのでがっしりしたコンクリート造りで、吹き抜けに開放感があり、インテリアにも心憎い演出がされている。神戸にも同じように、以前銀行だった建物をカフェバーとして使っている素敵な店があるが、最近の流行なのであろうか。この店は窓が小さく、自然光があまり入らないので、午前中でも怪しい雰囲気をかもし出している。
f0166114_2147526.jpgランチを食べながら、テキーラさんは赤ワインを、私は運転があるのでほんの少しだけビールを飲みながら、様々な話題で盛り上がった。ランチを食べながらお酒を飲むというフランスのスタイルが実に羨ましい。ランチを楽しむ女性や主婦は多いが、平日の昼間から酒を飲みながら食事をする姿はほとんど見かけない。地方では公共の乗り物があまりなく、自動車なしの生活は厳しい。そんなところにも原因があるのかもしれない。

テキーラさんはもともと娘のピアノの先生であった。今でも私は彼女のことを「テキーラ先生」と敬称をつけて敬意を払っている(?) また、偶然にもテキーラさんの娘さんと私の娘は同じ歳で、小学生の頃は連弾でコンクールにも出た仲でもある。
人の縁とは不思議なものである。13年前、私にテキーラさんを紹介してくれた人物が、実は大変な悪玉で、数年後に私達は大変なトラブルに巻き込まれたのである。人の嫉妬心や自己顕示欲とは恐ろしいものであることを知った。そして誰の心の中にでも潜むこの嫉妬心と如何につき合うかが、その人の人間力であることも学んだ。

f0166114_2151455.jpg以前の研究会は子育ての話が多かったが、子供達も大きくなり、もっぱら自分達の今後のことを話し合うことが多くなった。人生の折り返し地点を過ぎ、これからの時間を如何に過ごすのか、家族や年老いてきた親のこと、仕事のこと、自分達の楽しみや旅行の話、地域の問題等、話題は尽きない。もちろん結論付けれるものは一つとない。しかしこういう一見無駄な時間を共有することで、新たな発見があったり、心のなかに気持ちの良い風を吹かせることが出来るのである。

次回の研究会はいつになるのだろうか。いつもテキーラさんと別れるときには一抹の寂しさを覚えるが、力強いテキーラさんからエネルギーをもらって帰路についた。
by bake-cat | 2008-10-25 21:57 | 一休み

612の瞳

f0166114_21542358.jpg息子が通う小学校で30分の短いコンサートをした。
この学校では年に3回ほど演奏者を招いてコンサートを開いているらしい。前回は和楽器、そして次回はゴスペルだという。その他にも表現と題した朗読の会を計画中らしい。「音」を介した表現を子供達に経験してほしい、とやや口の重い校長先生が真面目な顔でおっしゃっておられた。
今日はサクソフォン奏者のR君と短いおしゃべりを交えながら演奏した。
大きな体育館に小さなピアノ・・・・音響の面ではかなりきついが、それでも306人の真剣な表情の子供達に囲まれ、普段とは違った使命感と喜びを感じた。
3拍子の「おぼろ月夜」に4拍子の「春の小川」を重ね合わせて演奏したり、やや前衛的なサックスのソロや、スペインの作品など。子供達の耳にはどう響いたかは分からないが、音楽に興味をもつひとつのきっかけになってくれたら嬉しい。

それにしても、昼間の短いコンサートは本当に疲れる。
R君と隣町のカフェに入り、コーヒーとケーキで雑談しながらの打ち上げ。
ここは蔵のような古民家風の店で、静かなジャズの流れと美味しいコーヒーが堪能出来る。
カフェ文化が根付いていないこの町では、こういう店に入ることすら特別なイベントになってしまうのだが、ちょっとした非日常的な時間と空間を楽しんだ午後であった。
by bake-cat | 2008-09-29 22:33 | Music

内緒話

年に数回ほどだが、65キロ先に住む友人と「研究会」と呼ぶ怪しい会合を開いている。
彼女と私は同業者なので、議題は「今後の音楽教育について」、または「地域におけるクラシック音楽の普及について」といったものが好ましいのだが・・・・・結局女2人で飲んで憂さ晴らしをするのである。

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このカフェで待ち合わせをすることが多い。
ここは銀行だった古い建物を改築したビルの中にある。和紙のランプの柔らかい光、あちこちに置かれた照明、それと窓から差し込む外の光が混じって、不思議な陰影を作っている。ここで午後4時にビールで研究会はスタートするが、22時58分の終電までの限られた時間なので、正にシンデレラである(かなり無理のある表現だが)
平日の午後、夫と子供たちがそれぞれ職場や学校で真面目に過ごしている間に、謎の研究会はひっそりと始まる。
by bake-cat | 2008-09-01 09:13 | どうでもいい話

カフェ文化

他国の様々な文化を取り入れては自分流にアレンジするのは日本人の得意とするところだが、今ひとつ根付かないものにカフェという存在がある。

お茶を飲む場所としては、日本にも昔から喫茶店があった。子供の頃、何か特別なイベントがあった日は、ソフトクリームを食べに両親に連れて行ってもらった記憶がある。また、高校時代に定期テストが終わると、友達と何時間も喫茶店にこもっては尽きない話をした。携帯電話もDVDもない時代はそんなことが唯一の楽しみだったのだ。当時、喫茶店は大抵ビルの地下にあり、やたら低くて座り心地の悪い椅子と、タバコの煙、そして乱雑に積んだ漫画本があった。私の喫茶店の記憶はそんなところである。

大人になってヨーロッパに行き、初めて日本の喫茶店とは違ったカフェの存在を知った。
青春時代を英語圏内で過ごした私は、結婚してパリに住み始め、見知らぬ惑星にでも引っ越したような戸惑いを覚えたものである。あんなに苦労して習得した英語はそこでは役に立たず、日本人社会とも全く無縁であった。何にも属さないことが心地悪く、根無し草のように不安だった。そして、時間がある時はひたすら歩き回った。町中のいたるところにカフェがあったが、道路に向かって一列に並んだ椅子を見て、あんなところに座ってお茶を飲むのはさぞかし落ち着かないだろう、と思ったりしたものだ。そのうち歩き疲れたり、ちょっと喉が渇いたりすると、一人でふらっとカフェに入るようになった。

カフェでの時間の過ごし方は色々である。
店の奥に座って一人はがきを書いたり、テラス席で通りを行き交う人々を眺めながら、時間の流れにゆったりと身を委ねたりするのである。
日本と違い、比較的湿度が低くて夏も過ごしやすい欧州では、店の前にも椅子を並べて短い夏を楽しむ。
私の記憶ではカフェの奥にはきちんとクロスをひいたテーブルもあり、かっちりした食事も取れるようになっていたように思う。もちろんカウンターでお酒を楽しむ人もいた。「カフェ」という舞台の上で、それぞれが自分のスタイルで思い思いの時間を過ごすのである。正に大人の空間である。
様々な不安や思いを抱えながらも、カフェという非日常の空間に身を置くことで、思考を中断させ、自分の意識を遊ばせる。周りが巨大スクリーンに映し出されるカラフルな映画で、自分の世界だけが白黒の世界に感じられることもあった。また自分にエネルギーが満ちている時は、周りの風景も力強く映し出されるような気がした。こうして色々なカフェで、私は大衆の中の孤独を楽しむ事をほんの少し経験したのだ。

最近は日本でもお洒落なカフェが増えたらしい。パリのように道端に椅子を並べたお店の写真を雑誌で見かけることがある。しかし、車が多く、色の氾濫した看板で溢れている日本の町並みには少々似合わないような気もする。
神戸にはヨーロッパ調のシックなカフェがあるが、コーヒーもデザートも大変高価で、心の中がざわざわして落ち着かない。

パリで途方に暮れ、アイデンティティーを探し求めていた頃から長い時間が経ってしまった。時代も、自分を取り巻く環境も、そして自分自身も大きく変わった。でも移り変わる時間の中で、迷路に入り込み一人戸惑うことも少なくない。また、子供たちが大きくなり、自分の時間も少しずつ増えてきた。仕事の合間や、日々の生活の中で零れ落ちたちょっとした時間・・・・そんな時間を包み込んでくれるカフェで、一人深煎りのコーヒーが飲めたらいいのに、と思うことが少なくない。
日常にさらっと存在する非日常の空間。そんな場所がほしい。
by bake-cat | 2008-05-14 22:26 | ひとりごと