大人未満

娘が疲れている。

今月末まで続く部活動。
サッカー部のマネージャーとして20人以上の男の子達の面倒に明け暮れる毎日。
運動とは全く関係のない世界で育ってきたのに、自分で決めて入ったサッカー部。
自分の部屋すら満足に掃除の出来ない無精者が、部活動では信じられないほどよく働くらしい。連日男子学生に囲まれ、ますます男っぽい性格に磨きがかかる。

そして学園祭の準備。
今年は準備委員会になったらしく、Tシャツのデザインに没頭していた。
表は「鯉」で裏は「蛇」の図柄になったらしい。
こういうジャパニーズな、堅気っぽくないデザインを好む。
そして演劇の台本選びから、フォークダンスの指導、はたまた合唱の伴奏までするの、しなの、と大騒ぎ。
「自分は動かないのに文句ばかり言う同級生にはホント、腹が立つ」と怒っている。
無駄のないスムーズな流れと最高の盛り上がりをプロデュースするため、人を遠隔操作しながら事を進めようとしているらしい。

そして毎週の模擬試験と山のような課題。
高3だから当然と言えば当然なのだが、この高校では若い衆が将来進むべき道をあれこれ迷うことを許さない。理系、文系と分けたが最後、後戻りは出来ない。
16,17歳の若者が自分が何をしたいのか、自分が誰なのか、分かるはずがないだろう。
あれこれ迷って失敗して、でもやり直せる、それが若さの特権だと思うのだが。

理想論ばかりを繰り返す両親のもとで育った娘は、「現実は予想以上に厳しい」と嘆いている。
中学時代、かなりハードな思春期を経験したが、ある時「私、トンネル抜けたよ」と脱・思春期宣言をした。そしてその「トンネル」を抜け出た時、グリコの「ゴールインマーク」のように両手を高くかざしてスッキリと出てきたそうである。また同じ時期に、学校の進路指導調査の将来の夢の欄に「刺青彫師」と書いて、担任のヒンシュクを買ったことがある。グラフィックデザインには今でも興味があるようだが、「自分程度の絵が描ける人間は世の中にごまんといる。この程度でプロになれるほど人生は甘くない」とは本人の弁。なるほど。本人なりに厳しい現実と夢の中で、蛇行運転をしながら進みつつあるらしい。

中学生時代、「黄色いお弁当」をリクエストされて作ったことがある。
サフランライスに卵焼き、黄色いパプリカにイエロートマト。
最近疲れている彼女に今度は「赤いお弁当」を考え中である。
# by bake-cat | 2008-05-17 09:51 | どうでもいい話

カフェ文化

他国の様々な文化を取り入れては自分流にアレンジするのは日本人の得意とするところだが、今ひとつ根付かないものにカフェという存在がある。

お茶を飲む場所としては、日本にも昔から喫茶店があった。子供の頃、何か特別なイベントがあった日は、ソフトクリームを食べに両親に連れて行ってもらった記憶がある。また、高校時代に定期テストが終わると、友達と何時間も喫茶店にこもっては尽きない話をした。携帯電話もDVDもない時代はそんなことが唯一の楽しみだったのだ。当時、喫茶店は大抵ビルの地下にあり、やたら低くて座り心地の悪い椅子と、タバコの煙、そして乱雑に積んだ漫画本があった。私の喫茶店の記憶はそんなところである。

大人になってヨーロッパに行き、初めて日本の喫茶店とは違ったカフェの存在を知った。
青春時代を英語圏内で過ごした私は、結婚してパリに住み始め、見知らぬ惑星にでも引っ越したような戸惑いを覚えたものである。あんなに苦労して習得した英語はそこでは役に立たず、日本人社会とも全く無縁であった。何にも属さないことが心地悪く、根無し草のように不安だった。そして、時間がある時はひたすら歩き回った。町中のいたるところにカフェがあったが、道路に向かって一列に並んだ椅子を見て、あんなところに座ってお茶を飲むのはさぞかし落ち着かないだろう、と思ったりしたものだ。そのうち歩き疲れたり、ちょっと喉が渇いたりすると、一人でふらっとカフェに入るようになった。

カフェでの時間の過ごし方は色々である。
店の奥に座って一人はがきを書いたり、テラス席で通りを行き交う人々を眺めながら、時間の流れにゆったりと身を委ねたりするのである。
日本と違い、比較的湿度が低くて夏も過ごしやすい欧州では、店の前にも椅子を並べて短い夏を楽しむ。
私の記憶ではカフェの奥にはきちんとクロスをひいたテーブルもあり、かっちりした食事も取れるようになっていたように思う。もちろんカウンターでお酒を楽しむ人もいた。「カフェ」という舞台の上で、それぞれが自分のスタイルで思い思いの時間を過ごすのである。正に大人の空間である。
様々な不安や思いを抱えながらも、カフェという非日常の空間に身を置くことで、思考を中断させ、自分の意識を遊ばせる。周りが巨大スクリーンに映し出されるカラフルな映画で、自分の世界だけが白黒の世界に感じられることもあった。また自分にエネルギーが満ちている時は、周りの風景も力強く映し出されるような気がした。こうして色々なカフェで、私は大衆の中の孤独を楽しむ事をほんの少し経験したのだ。

最近は日本でもお洒落なカフェが増えたらしい。パリのように道端に椅子を並べたお店の写真を雑誌で見かけることがある。しかし、車が多く、色の氾濫した看板で溢れている日本の町並みには少々似合わないような気もする。
神戸にはヨーロッパ調のシックなカフェがあるが、コーヒーもデザートも大変高価で、心の中がざわざわして落ち着かない。

パリで途方に暮れ、アイデンティティーを探し求めていた頃から長い時間が経ってしまった。時代も、自分を取り巻く環境も、そして自分自身も大きく変わった。でも移り変わる時間の中で、迷路に入り込み一人戸惑うことも少なくない。また、子供たちが大きくなり、自分の時間も少しずつ増えてきた。仕事の合間や、日々の生活の中で零れ落ちたちょっとした時間・・・・そんな時間を包み込んでくれるカフェで、一人深煎りのコーヒーが飲めたらいいのに、と思うことが少なくない。
日常にさらっと存在する非日常の空間。そんな場所がほしい。
# by bake-cat | 2008-05-14 22:26 | ひとりごと

休日

日曜日・・・・・ 朝からどんより曇っている。
今日は小学校の奉仕作業の日。運動会が近いので、高学年児童と保護者でグランドの掃除と整備をしようというのだ。
朝、5時半に息子を起こす。予想通り大変不機嫌。ヨーグルトだけ口にして、夫と息子は学校へ向かった。
2時間後、早朝とはうって変わって上機嫌になった息子が、掃除を終えて夫と帰宅。
「まだ働き方が甘い」と文句を言う夫に、「草を120本抜いた」と自慢する息子。 えっ、数えながら草取りしたの・・・?
夫はいつものごとく「人間観察」をしながらの作業だったらしい。
黙々と働く人(自分のことらしい)、要領だけ良い人、すぐ人としゃべって働かない人等々・・・・
ちなみに校長先生は「すぐ人としゃべって働かない人」だったとか。
一方、息子に言わせると「パパはスキンヘッドだし、目が鋭くて怖い人に見えた。僕、恥ずかしかったよ、人の前ではもっと優しい顔してよ」とのこと。
ああ、想像つくなあ・・・・ スキンヘッドに細縁の眼鏡、全くしゃべらずに黙々と作業しながら時々周りをスルドイ目で観察・・・・(ああ、コワい)

ある委員会からの宿題は明日が提出日。やっと重い腰を上げて、パソコンの前に向かう。
地域文化振興のために企画するイベントの数々。すでに出来上がって認知されたものを舞台に上げるのではなく、あくまでオリジナルな企画、そして地域に根ざした文化を再認識しようというものらしい。こういうのは本当に難しい。「県民みんなに参加の機会を」と謳うと恐ろしいほど質が低下する危険性がある。また、優秀な人材は大都市や海外に流れてしまい、仕事の少ない地方に留まるのは難しい、という現実がある。でも地方が疲弊しているからこそ、何かを立ち上げて自分達のアイデンティティーを確立したい、という思いはもっともである。ただ、あまりに「地方に根付いた」とか、「地方独自の」といった考えにこだわり過ぎると、それ自体が何かの新興宗教のような形になってしまい、風通しが悪くなる。頭の中はいつも堂々巡り・・・たった1枚の意見書に3時間もかかってしまった。

夕方からは日が差し始め、暖かくなってきた。
図書館で勉強していた(らしい)娘は帰るなり、お昼寝。制服を部屋着に着替えてベッドに直行。昼寝をすると夜中まで集中して勉強がはかどるらしい。一応受験生。

今日は久しぶりにゴーヤチャンプルでも作ろう。
ビールも飲みたいな。(あ・・・昨夜も飲み会だった)
# by bake-cat | 2008-05-11 19:18 | どうでもいい話

記憶の足音

今日は仕事がオフだったので、以前から気になっていた展示物を見に博物館へ行った。
懐かしい昭和の暮らしや風景・・・それは民家の茶の間だったり、バス停に佇む人々だったり・・・を切り取って、それをミニチュア模型で表現したもの。そのミニチュア模型が大変精密に出来ており、さらにストーリーが加わることによって、何とも言えないノスタルジックな雰囲気をかもし出している。最近昭和が懐かしい、という声を聞くことがある。デジタル化され便利になった21世紀の現在だが、私達は昭和の時代に何か忘れ物をしてきたのだろうか・・・・

ミニチュア模型で表された家族の団欒は私の記憶にある風景だ。そこにいる母親はまだ若い頃の私の母に似ている。おかっぱ頭の少女は幼い頃の自分だろうか・・・ 白黒の古い映画が時として大変新しく感じられるように、そこにある風景にある種のモダンな佇まいを感じる。
模型を見ながら、子供の頃の記憶が浮かんでは消える。
記憶というのは不思議なものである。普段はどこかで眠っているのに、何かのきっかけでズルズルと芋蔓式に脳裏に突然現れるのである。時には音の記憶や匂いの記憶を伴って。

北海道でも有数の寒冷地と言われる町で育った私が一番に思い出すのが、寒い真冬の登校風景だ。友達と積もったばかりのパウダースノーの中にわざと入って、雪の中を泳ぎながら学校へ行った日があった。道路がカチカチのアイスバンになっても、転んで怪我をするような子はいなかった。耳が凍りそうなくらい冷たくなっても平気だった。
また、ストーブでしっかり暖められた父の書斎にあった分厚い文学全集。結局あの本を私は読むことはなかったのだが、父はまだ持っているのだろうか。そんな記憶の断片が浮かぶ。

人間は誰にでも忘れたい悲しい記憶があるだろう。また楽しかった記憶に支えられてがんばれる時もある。ただ、取り立てて表舞台に乗せる必要のない日常の小さな記憶こそが、生きてきた軌跡なのかもしれない。これからどんな日常の記憶を新たに刻めるのだろうか・・・そんなことを思いながら博物館を後にした。
# by bake-cat | 2008-05-09 23:58 | ひとりごと

朝起きると、台所にあるミニコンポでバロック音楽を聞きながら家族のお弁当や朝食の用意をするのが日課になっている。我家は地形的な問題でFMが入らないので、CDをかけるしか方法がない。朝は何故かピアノの音は聞きたくないので、チェンバロによるバッハのフランス組曲やヴァイオリンコンチェルトを聞くことが多かったが、最近はもっぱらリコーダーや古楽器フルートでヘンデルやバッハを聞いている。正直、朝の忙しい時間帯にゆっくり音楽を聴く余裕はないはずなのだが、家族が起きてくる前の儀式のようなものである。子供達はブリュッヘンの演奏するヘンデルのソナタを毎朝聴かされて、全曲を記憶しているもようである。

先日、知人にフラウト・トラヴェルソ(バロック時代の横笛)を見せてもらった。よく昔の絵に出てくる横笛はこれだと納得。モダンフルートは背筋を伸ばして、自分の身体の上部に共鳴させて聴くような気がするが、トラヴェルソは案外お腹に響く。木の温かみがある。バッハがこの楽器を好み、沢山のフルートソナタを書いている。

大学時代から管楽器が好きだった。自分が吹けないので余計に憧れるのだろう。唇の動きと空気の流れで音を作るところが歌に似ているような気がする。ピアノの持っている多面性は素晴らしい。しかし巨大なピアノと3歳から格闘している私は少々疲れているのかもしれない。トラヴェルソで演奏するバッハのソナタを聴きながら、宮廷音楽家のみならず、貴族が好んで演奏していたという時代に思いをはせるのである。
# by bake-cat | 2008-05-08 23:13 | Music

春を食する




自宅の前に豊かに咲き誇っていた八重桜が終わろうとしている。
毎年4月の下旬から10日間、ピアノの部屋の窓からその満開のふくよかな花びらを楽しむことが出来る。そういえば、八重桜の花びらは塩漬けにすると美味しい、と知人から聞いていたのに、今年も収穫することなく終わってしまった。
そして今はつつじの季節。町のあちこちで、紅色やピンクに混ざって時折白いつつじも顔を覗かせている。

旬のものを楽しみたいと常々思っている。
今年は初めて「あぶら芽」という山菜を食べた。知人からタラの芽より美味しいと聞いていたが、口にしたのは始めてだった。地元の人達は「あぶら芽」と呼んでいるが、正確には「こしあぶら」と言うらしい。店には売っていない、と聞くとますます気になる。自分の山を持っている人からお裾分けしてもらうのだと言う。確かにスーパーで見かけたことはないのだが、偶然にも「自分の山を持っている人」が出荷したあぶら芽を農協で見つけることが出来た。
天ぷらにすると、かすかな苦味が口に広がるものの、後味はさっぱりしていて、癖になる味である。なかなか美味しい。ビールにもよく合う。
大人の味だと思うのだが、10歳の息子もバクバク口に運ぶ。

そして昨夜は「たけのこご飯」と「焼きたけのこ」を作った。
食感がたまらなくいい。柔らかいご飯の中でも独特の食感を残しながら、程よく周りと調和している。
毎年、春には必ず店に並ぶ律儀な奴だ。
そして色々な料理法に対応する「マルチ」な奴でもある。
# by bake-cat | 2008-05-07 22:56 | 美味しい話

排他性

ゴールデンウィーク最終日になった。今日は帰宅ラッシュ、帰国ラッシュで高速道路も空港も混雑していることだろう。都会で時間に追われながら仕事をしている人達は、田舎で新鮮な空気を思い存分吸って、リフレッシュしたことだろう。しかし田舎に住んでいると、日常も休日も変わりなく同じテンポで進んでいく。人間的な生活といえばその通りかもしれない。緩やかに流れている時間を感じられるのは最高な贅沢かも知れない。だからと言って、都会の人達が想像するような田舎ならではの義理人情に溢れた、暖かい人間関係がここにあるわけではない。いや、あるのかもしれないが、私は少なくともその中にはいない。

ここの自然の美しさ、そして豊かな季節の移り変わりは素晴らしい。そしてどんな狭い地域にも必ずといっていいほどひっそりとした神社がある。歴史の重みを感じる。地味ながら地域に根ざした伝統文化もある。それらに対して私自身は価値を見出すものの、ここの風土は私にはキビシイ・・・・ 
私が育った北海道はどうであろうか・・・・ 美しく豊かな自然というのはどこでも厳しさをもっている。ただ北海道はその中で人間が自由に振舞うことを許す、ある種の「おおらかさ」があったように感じる。そのおおらかさに私は甘んじて育ってきたのだろうか。もちろん北海道は広く、一言でくくるのは難しいが。

話を戻そう。どの地でも、そこに長く住んできた先住の人達に対して敬意を払う必要がある。先住者は観光客や新しく越してきた人達には一見、親切である。しかし私達が何十年住み続けても、一旦彼らの領域に足を踏み入れた途端、ピシャリと払いのけられる。「よそ者」に対する本能的な嗅ぎつけはスルドイ。それはそれとして、良い所だけを享受して上手に生きる、という方法もあるだあろう。しかし子供を育て、この地で音楽を続けようとすれば、社会との繋がりは無視できない。というか、社会的な受け皿がないと人間は生きてはいかれない。
結婚当初住んでいたフランスでは、むっとするような個の社会と、強くて硬い石の文化に圧倒された記憶がある。言葉も不自由で、確かに「孤独」というものの形なき姿が迫っていた。でもそんな孤独な魂があちこちにデコボコしながら沢山存在し、そういうデコボコが、ある一つの複雑な社会を形成していたように思う。

しかし、ここはそういう「デコボコ」を許さない。押しなべて「平ら」でなければいけない、と言われているような錯覚を起こす。誰かが言っていたが「ここは3世代住まないと、仲間とはみなしてくれない」そうである。極めて風通しが悪い。「仲間意識」と「ブランド好き意識」で満ちているこの地で、そのどちらにも属さない私は居場所を求めてウロウロし続けるのか。いや、もしかしたら問題は彼らではなく、私の中にあるのかもしれない。まだまだ努力が足りないのだろうか。見方が変われば、新しい発見があるのだろうか。自問自答が続く。
# by bake-cat | 2008-05-06 09:24 | ひとりごと

原点に立ち返る

新聞に最近の科学の在り方を懸念する声が載っていた。
「世の中が科学を搾取することだけに狂奔していていいのか」と警告している。また、政治家がノーベル賞受賞者を造る、と豪語していることにも不快感を表している。これを読んだ夫が「救われたよ」とぽつり。夫によれば「サイエンスは新しいことを知りたい、というワクワクした好奇心が原点になるべきで、最近は有名になりたい、目立ちたい、といった感情が先走りしている研究者が多い」とのこと。

どの分野においても、人より目立ちたい、といったエゴは人間の持っている本能のようなものであろう。それがモチベーションになってがんばれる一面もある。しかしその感情が仕事の本質を超えてしまった時に問題が起きうる。自分の利益のために業績を必要以上に飾り立てる、ルールを逸脱した足の引っ張りをする、ひどくなると捏造もありうる。ちょっと飛躍してしまったが、物事を損得だけで判断する雰囲気が漂っている現在、日本の過剰な商業ベースに踊らされることなく、落ち着いて仕事を進めたいと思う。

ゴールデンウィークで休日が続く。昨日は80キロ先にある山に出かけた(登山ではない) 山の中腹にある子供向け博物館が目当てだ。この地に長く住んでいてもあまり足を踏み入れたことのない地域だ。広い谷間を縫って車を走らせる。堂々とした旧家らしき民家が点在していて、あちこちに「こいのぼり」が誇らしげに泳いでいる。中には大変立派な姿をしたものもある。「子供が元気に育ちますように」という願いと共に、「我家には男の子がいますよ」といったメッセージも受け取れる。ふと、昔は旧家に嫁いで男の子が生まれなかったら、女性は肩身の狭い思いをしたのだろうか、などと余計なことを考えたりした。
初夏のようにすがすがしい天気が続く。
# by bake-cat | 2008-05-05 07:38 | ひとりごと

舌鼓

夫(地球外生命体)の誕生日でした。
小さな小料理屋で祝杯を挙げた。

注文したのは
 
 アジのお造り
 なんこつの唐揚げ
 ダチョウの刺身
 あぶら菜と竹の子の天麩羅
 蓮根まんじゅう
 手羽先
 牛筋の煮込み
 ほたるイカの沖漬け
 馬刺し
イベリコ豚のねぎま
 抹茶のアイス
 焼きおにぎり
 生ビール(当然)
 地酒(当然)

こういう珍味を食する時、日本に住んでいる喜びを感じます。
# by bake-cat | 2008-05-03 21:49

はじめまして

ヒタヒタヒタ・・・・・ 
時空を飛び越えてしのび寄る「ばけねこ」のしのび足・・・・・・

行動は「しのび足」ですが、性格は直球型。
北の大地で育ったばけねこです。

小さな町で、音楽活動と子育て、夫育てに駆けずり回る毎日。
地球外生命体(夫)、チャーコ(娘)&ベーコン(息子)の四人家族。
心の中にはパリの公園で拾った愛猫(天国在住)が一緒です。

よろしくお願いします。
# by bake-cat | 2008-05-03 21:34