カテゴリ:Music( 13 )

ライプチヒからの贈り物

新聞を読んでいたら、今年は春一番が来ないまま春分の日を迎えたという記事が目に留まった。日陰にいつまでもひっそり残っていた雪も姿を消し、春を待ちわびる気持ちが抑えられない。冬の間、雪を被って凍えていたプランターの植物も赤い小さな蕾をつけている。一斉に芽吹く時が待ち遠しい。

例年、2月3月は一年で一番時間的に余裕のある時期だ。この時期を充実させることが、その後の生活に影響するのだが、いつもあっという間に過ぎていってしまう。4月の新学期を前に、残りの日々を何とか心豊かに過ごしたいものだ。

毎年、ここでは聴けない演奏会を県外に求めて出かけるのを楽しみにしている。年に1~2回のペースだが、余裕が出来たら、もっと頻繁に出かけられるようになりたい。そして先日、長年の夢だったゲヴァントハウス管弦楽団の演奏を友人と一緒に聞くことが出来た。今回は800年の歴史をもち、バッハがカントール(音楽監督)を務めた聖トーマス教会合唱団と共に「マタイ受難曲」という豪華なプログラムだった。

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

3週間経った今でも、その感動が薄れることなく、まだ心が震えている。本当に素晴らしい演奏だった。マタイをライブで聴いたのはたぶん初めてだったと思う。数曲だけ伴奏したことがあるが、あとはもっぱらCDで聴いてきただけに、世界一言われるサントリーホールの素晴らしい音響も手伝って、3時間、どっぷりとバッハの世界に引き込まれることとなった。オーケストラは小編成で、左右二つのグループに分かれていた。左のオーケストラにはオルガンが、そして中央にはチェンバロとビオラ・ダ・ガンバ、そしてその後には木管楽器が一列に取り囲み、更にその後に合唱団がやはり左右二つのグループに分かれていた。

3時間に及ぶ宗教曲ということで重厚な演奏を想像していた。確かに深い厚みと拡がりのある演奏だったが、決して重い演奏ではなかった。そして特筆すべきはその音の美しさ。決して派手さはなかったが、柔らかく包み込むような音色が自在に天と地を縦横に駆け巡る。重い内容をやや速めのテンポで、淡々とそして艶やかに語りつくしてくれた。200年以上の歴史を持ち、マタイを初演したオーケストラでもある。伝統という言葉が頭を過る。

合唱団は8歳~18歳までの少年達で構成されていた。寄宿舎生活を送りながら、週末は教会でミサ曲等を歌っているらしい。幼いあどけない少年達だが、その歌声の美しさと世界観は驚くべきものだった。天使の歌声という型通りの表現は全く当てはまらない。ライプチヒ在住の知人によると、指揮者のゲオルグ・クリストフ・ビラーが大変きめの細かい素晴らしい指導をしているらしい。内容が重いだけに、この子供たちがどういう気持ちで歌ってるのか不思議な気持ちにもなった。実際、3時間の舞台は子供には座っているだけでも大変に違いない。隣の子とヒソヒソおしゃべりしたり、楽譜をごそごそ動かしたり、途中で席を立っていなくなった子もいた(トイレ?お腹が痛い?)。 ところが出番になると、立ち上がって一瞬にして豹変・・・迫力のある4声フーガを見事に歌い上げ、消えるような極上のピアニッシモを美しく響かせる。その集中力に脱帽。

ソリストの福音史家、マルティン・ペッツォルトは懐の深い語部に徹し、印象深かった。
それと心に焼きついているのがヴィオラ・ダ・ガンバ。古楽器アンサンブルで時々登場するが、生でソロを聴いたのはおそらく初めて。友人によると、この楽器は音程を取るのが難しいらしいが、実に格調高い演奏で、古楽器とは思えないほどの力強さは圧巻だった。

キリスト教にも聖書にも明るくない私だが、日本語訳が流れていたので有り難かった。次回はもっと勉強してから聞きに行きたいものだ。しかし裏切りや愚かな民衆、罪、恐れなど、そのまま形を変えても今の時代にもそのまま当てはまることばかり。そのやり切れない世界だが、その中に常に光を感じることが出来たのは、やはりバッハの偉大な音楽の成せる業かもしれない。

さて、指揮者のビラーさんによると、今回は合唱団設立800年という記念演奏会であったが、同時に震災以来外国の演奏家が相次ぎ公演をキャンセルする中、是非とも日本との友情のために来日したいと強く願ったらしい。そのため合唱団の子供たちの保護者全員に承諾をとったとか。生の演奏は常に一期一会。この出会いに感謝したい。
by bake-cat | 2012-03-23 11:00 | Music

道具

前回に引き続いて古い動画を紹介したい。
ピアノを弾いているあどけない少年は、現在フランスを中心に世界で活躍しているブルガリア人ピアニスト、エミール・ナウモフ(Emile Naoumoff)。そして指導者は晩年のナディア・ブーランジェという大変貴重な映像だ。





多くの偉大な演奏家を世に送り出したブーランジェだが、彼女は教師の役割は唯一「道具を操れるようにしてあげること」と言っている(ナディア ブーランジェとの対話 音楽の友社より)
この場合の道具とは語法とでも言えるものだろうか。楽譜の中の点と線を繋ぎ合わせている規則、文法を知識として伝え、同時にそれを指と耳で確認させる。そこに教師の気分や偏りすぎた情緒を入れたりはしない。そんな教授の一端がこの画像や上記の本から伺うことが出来る。

さて、このナウモフ少年だが、後年、同じ曲(モーツァルト 幻想曲)を弾いている音源がある。


by bake-cat | 2011-08-16 11:47 | Music

古い音源

フランシス・プランテ(Francis Planté)というフランスのピアニストがいた。1839年生まれのこの人の録音が残っているが、現存する録音の中では最も古いものの一つであろう。彼と親交のあったフランスの名高い音楽家、ナディア・ブーランジェは本の中で、プランテはリストが主催したパーティーでショパンに会ったことをプランテ本人から直接聞いた、と話している。こういう話を聞くと、人と人の出会いが歴史の中で脈々と繋がっていくことに深い感動を覚える。



by bake-cat | 2011-08-12 11:46 | Music

遥かな友に

ラジオから流れてきた合唱曲を聞いて、あっと思った。そして、胸に熱いものが流れてきた。もうそれは条件反射的に・・・

遥か昔、若い音楽教師だった父は仲間たちと合唱団を作った。言葉を慈しみ、声を合わせることに、仲間と心を寄せ合って未来に向かって生きる思いを託したのかもしれない。自宅にはいつも合唱仲間が集い、彼らの歌声を聞きながら私は育ってきた。楽器を弾くよりもっと前からいつも耳にしていた合唱の調べは、私にとっての音楽的な原体験と言える。

ラジオから流れてきた曲は、合唱団が定期演奏会でいつも最後に歌っていた曲。タイトルが分からないので、調べてみると磯部俶作詞作曲の「遥かな友に」という歌であった。

静かな夜更けに いつもいつも
思い出すのは お前のこと
お休み 安らかに
たどれ 夢路
お休み 楽しく
今宵もまた

この曲を聞くと、まだ安心して託せる世界があったと信じていた幼い頃の自分に戻ることが出来る。そして、公演を聞いていた古い市民ホールの椅子の感触や、その時代の空気までもが鮮明に蘇るのは不思議な感覚だ。おそらく私の記憶の奥には、タイトルも分からずに眠っている合唱曲がたくさんあると思う。何かの機会にそれらの調べと偶然に再会し、古い記憶の糸を辿ることは格別の喜びだ。
by bake-cat | 2010-10-30 08:07 | Music

音楽の贈り物

f0166114_1949328.jpg昨年に引き続いて、演奏仲間と山間の小さな保育所でクリスマスコンサートをした。
自宅から1時間半くらいだろうか、山に囲まれながらも広々とした平地が広がり、都市部に向けての高速道路が建設中である。この日は久しぶりに青空が顔を覗かせ、保育所までのドライブを楽しんだ。

ここの園児たちのパワーはスゴイ。昨年も演奏だけでは幼い子ども達には辛かろうと、途中で「あわてんぼうのサンタクロース」を歌うコーナーを設けたところ、元気な声で5番までしっかり歌ってくれたのには驚いた。その元気なこと、元気なこと・・・ 楽しい気持ちを全身で現してくれる。園長先生が音楽を通した情操教育を重視しておられることも反映しているのかもしれない。全身で聞いてくれている様子がヒシヒシと伝わってくる。今年は4人で演奏したが、クラシックから季節の歌まで、しっかりと聞いてくれた。コンサートの後には、美味しい手作り給食をいただき、自然に恵まれた美しい町で、心も身体も栄養の行き届いた育て方をされている子ども達の様子に触れ、心が満たされた。とはいえ、保育所を退所する園児もいるようで、やはり様々な家庭の事情があるのであろう。すこやかな成長を願いながら保育所を後にした。
あとは来週、おもちゃの博物館でのクリスマスコンサートが残っている。
by bake-cat | 2008-12-13 19:43 | Music

土の香りとエスプリ

f0166114_21393315.jpg自宅前の桜の木は葉っぱがほとんど落ちてしまい、見るからに寂しい姿になってしまった。先週、全国的に寒波に見舞われ、九州でも雪が降った様子をニュースで見たが、私が住む所でも一ヶ月も早い初雪が降った。この冬の寒さを案じたが、今日は久しぶりに青空が顔を見せてくれた。寒さに震えた木の葉がホッと溜息をついたのではないだろうか。

1週間後の本番に備え、準備を進めている。サクソフォンとのアンサンブルの他に、ラヴェルの「スペイン狂詩曲」から2曲を連弾で演奏する。この曲はオーケストラが有名だが、2台のピアノの楽譜が一足先に作られたようである。今からちょうど100年前に作曲されたのだが、日本では明治40年にあたる。調べてみると日本を始め、世界で金融危機が起こった年らしい。湯川秀樹が生まれ、怪盗アルセーヌ・ルパンが出版された年でもある。
全楽章を通して4つの音による下降音階が繰り返されるが、第一次世界大戦前のヨーロッパの陰と波乱に満ちたスペインの歴史が託されているのだろうか。スペインに行ったことのない私はひたすらイメージの世界を膨らますしかない。民族的な色彩に溢れる土着的な要素がふんだんに含まれているが、同時にフランス的な洗練さがどこからともなく漂ってくる。フランス人でありながらバスク人の母親からの影響を強く受けながら育ったラヴェルならではの世界。ただこの作品は強いイメージを植えつけながら、森の中に迷ったかのように演奏者を煙に巻いてしまう、なんとも手ごわい曲なのである。ラヴェルの熱い想いの中に垣間見えるクールな脳ミソ・・・・ 共演者と詳細な打ち合わせをしながらも、怪しげな音たちとの格闘の日々である。
by bake-cat | 2008-11-23 22:57 | Music

空洞になったピアノ

私が毎日愛用しているピアノは、実家で長年使ってきたものだが、経年により状態が極めて悪くなり、8年前にオーバーホールして生まれ変わった楽器である。調律師に湿度管理にはうるさく言われているが、空調が一定の楽器庫とは違い、生活の場に置いてあるだけになかなか管理が難しい。レッスンルームは家族が帰宅すればリビングに早変わりし、ダイニングと一体化して管理からは程遠い状態である。所詮、乾いたヨーロッパで生まれた楽器であり、高温多湿の日本には馴染みにくい面がある。ピアノの音色に魅せられながら、機械としての冷たさに未だもってヒンヤリした感触を拭えないのも正直な感想である。何せ部品だけで大小合わせて2万点も詰め込まれているらしい。ズボラで大雑把な性格の私にはこの精密さとデリケートさに「ヒンヤリ感」が付きまとうのである。

前置きが長くなったが、8年近くが経ち、ハンマーの関節(フレンジ)の部分が相当硬くなってしまった。これはやはり湿気が原因らしい。木や羊の毛といった自然素材を使っているだけに、伸縮は否めない。ということで、このフレンジの部分の修理を頼んだ。3日間かけて細やかな作業が必要らしく、今日は鍵盤とハンマー部分を取り出して工房へ持って帰ってもらった。

f0166114_2234867.jpg鍵盤のないピアノというのは少々不気味で情けない存在である。息子にピアノの蓋を開けてみせるとアッと驚いた表情。「夜中に泥棒が来て、ピアノの鍵盤を盗まれちゃったよ」と話すと本気にしてしまったではないか。実は修理のため入院したんだよ、と話すとホッとした表情に変わった。

黒光りしたピアノは、大きな身体を持て余しながら、手術した内臓が帰ってくるのを待っているように見える。さて、どんなアクションと音色に生まれ変わるのであろうか。今から楽しみでもある。
by bake-cat | 2008-11-10 22:54 | Music

指揮者が舞う

金曜日の夕方、4時10分に息子の学校の前に車をつけ、ランドセル姿の彼を乗せて一路松江市へ。今日は2人で「オーケストラ・アンサンブル金沢」を聴きに行く日である。夫は出張だし、受験生の娘は完全に別行動。で、この息子をあちこちに連れ出すことにしている。母親にホイホイと喜んでついて行くのはあと2年くらいだろう、と推測している。この息子は山猿のように毎日外で遊びまわっているくせに、案外文化的なことに興味がある。音楽も聴くし、歴史も好き。連れて歩くには、ちょうど良い相棒である。

今日のプログラムは
  ベートーヴェン 交響曲第8番
  チャイコフスキー 弦楽セレナーデ
  プロコフィエフ ピーターと狼

指揮者の井上道義。国際的に活躍しているマエストロだが、都会的なスマートさと得体の知れぬ奇抜さを持ち合わせている。半年ほど前に大阪フィルで同じベートーヴェンの8番を聞いたが、こういう小編成の室内楽的な交響曲も面白い。「オーケストラ・アンサンブル金沢」は日本で初めてのプロの室内オーケストラだが、この「室内楽的」な部分がアンサンブルをするという音楽の本質を捉えている点で緊張感もあり、聞き応えもある。この第8交響曲は、やや影の薄い存在であるという認識と、いや玄人好みの名作であるという意見に分かれるところだが、井上の指揮で、やや穏やかで軽快な曲想の裏にあるしつこい高揚感のようなものを表現していたと思う。そしてチャイコフスキーの弦楽セレナーデ。昔から好きな曲だが、ロシアの民族的なモチーフと、モーツァルトに対する敬意に表れる古典的な形式との美しい融合が見られる。誰でも分け隔てなく包み込むおおらかさと高揚感。この曲を聴くと、自分が弦楽器を演奏できないことが悔やまれるのである。ピアノの世界では表現できない、弦楽器独特の歌の世界がそこにある。
そして今日の極めつけは、ピーターと狼であった。これを聞くことで、聴衆の大部分はベートーヴェンも弦楽セレナーデも忘れたのではなかろうか。プログラムには指揮者がナレーションをする、と書かれてある。指揮の合間でマイクを持ってしゃべるかと思いきや、指揮をしながら同時にしゃべる。途中で指揮を放り投げて、舞台上を走る、踊る、飛び上がる、転がる、座る・・・・と井上の独壇場であった。自ら演出した芝居で盛り上げ、会場を笑いの嵐にしたのである。杖やロープの小道具も使い、ダジャレのオンパレード。舞台で赤塚不二夫の真似をするマエストロはそういない。そしてなんと、曲の最後で本物のアヒルが登場したのである。もしかしてこれは井上の十八番で、全国をアヒルと一緒に公演しているのであろうか。気のせいか楽団員が半ば呆れ顔で演奏していたし。それにしてもしゃべりの上手いこと上手いこと。昨今、クラシックを肩肘張らずに楽しんでもらおうという姿勢から、必要以上にフレンドリーなやや芝居がかったパフォーマンスをする指揮者がいるが、彼にはその胡散臭さがない。芸術家であり、同時に根っからの芸人であるのかもしれない。本当に引き出しの多い達人である。

公演後、息子はサイン会に並んだが、アロハシャツのような格好で現れた。息子を見て、「おお、少年よ。将来を背負って立つ」と一言。サイン付きのモーツァルトのCDは息子の宝物になったかもしれない。今日は嬉しそうにCDを聞いていた。
そして・・・・ コンサートの次は松江の武者行列を見に行きたいと言っている。
by bake-cat | 2008-10-18 22:52 | Music

612の瞳

f0166114_21542358.jpg息子が通う小学校で30分の短いコンサートをした。
この学校では年に3回ほど演奏者を招いてコンサートを開いているらしい。前回は和楽器、そして次回はゴスペルだという。その他にも表現と題した朗読の会を計画中らしい。「音」を介した表現を子供達に経験してほしい、とやや口の重い校長先生が真面目な顔でおっしゃっておられた。
今日はサクソフォン奏者のR君と短いおしゃべりを交えながら演奏した。
大きな体育館に小さなピアノ・・・・音響の面ではかなりきついが、それでも306人の真剣な表情の子供達に囲まれ、普段とは違った使命感と喜びを感じた。
3拍子の「おぼろ月夜」に4拍子の「春の小川」を重ね合わせて演奏したり、やや前衛的なサックスのソロや、スペインの作品など。子供達の耳にはどう響いたかは分からないが、音楽に興味をもつひとつのきっかけになってくれたら嬉しい。

それにしても、昼間の短いコンサートは本当に疲れる。
R君と隣町のカフェに入り、コーヒーとケーキで雑談しながらの打ち上げ。
ここは蔵のような古民家風の店で、静かなジャズの流れと美味しいコーヒーが堪能出来る。
カフェ文化が根付いていないこの町では、こういう店に入ることすら特別なイベントになってしまうのだが、ちょっとした非日常的な時間と空間を楽しんだ午後であった。
by bake-cat | 2008-09-29 22:33 | Music

一期一会

朝晩はかなり涼しくなってきたが、日中は湿度も気温もけっこう上がるので、まだ半袖で過ごしている。楽器を置いてある部屋は未だにクーラーや除湿機が手放せない。そう言いつつも、周りを見渡すとだんだん秋色に染まっていくのが感じられる。紅葉の季節にはまだ1ヶ月以上あるが、職業柄、毎年秋は何かと忙しく、季節の大きな移り変わりを堪能することなく過ぎていくことが多い。今年こそ、この秋は家族で近場で登山しようと考えているのだが、実現するのだろうか。

夫は今、アメリカに出張している。明日は火山に登るらしい。
子ども達が幼い時は、夫が長期にわたって不在の時などは、全てを自分一人で背負うことになり、大変だった記憶がある。保育園が休みの日は仕事も出来ず、あれこれ日程調整をしてジタバタしたものである。ところが子供たちはどんどん成長し、今では頼もしい存在になりつつある。育てているつもりが、ふと自分が彼らに頼っていることに気付くことがあり、はっと我に帰る。身体の成長だけでなく、人間として人格を形成していく過程は厳しい道のりであるが、それでも感動を覚えずにはいられない。どんどん成長して、そのうち追い越されていくのだろう。とは言え、息子は毎日のように「パパがいなくて寂しいね」と呟いているが・・・・

来週は小学校の音楽集会に招待されているので、共演者のサクソフォーン奏者、R君とリハーサルをした。たった30分の短いコンサートであるが、なんとか子ども達にお腹一杯、音楽を楽しんでもらいたい。時間いっぱいに盛り沢山のプログラムを考えている。サクソフォーンの仲間達とは毎年、定期演奏会をしているが、それ以外にも保育園や病院でも時折、出前コンサートをしている。保育園のコンサートでは童謡やディズニーは欠かせない。それでもその中にクラシックの名曲を盛り込み、骨のある構成にしようと心掛けている。今回は小学生なので、更にしっかりしたプログラムが組めそうで楽しみである。子供にはいわゆる子供向けの曲を、という考えが嫌いである。小学校は年齢が6歳から12歳と幅があり、深く音楽に興味がある子から、全く関心のない子まで様々であろう。中にはコンサートに足を運んだことのない子供たちもいるかもしれない。だからこそこの一期一会を大切にしたいものである。
by bake-cat | 2008-09-24 23:45 | Music