カテゴリ:思考の散策( 11 )

時期

以前はこのブログに頻繁に登場していた息子だが、彼も中2になり、大人への階段を少しずつ登り始めたようだ。小柄なりに背も私に追いつきつつあるし、サッカーに明け暮れる体に昔の「太った」面影はない。先日、久しぶりに学校参観に行ったところ、彼の同級生も皆、ぐっと一回り大きくなっていた。女の子は一足先に成長するが、この時期の男の子の変化は目を見張るものがある。

息子の心は10分で変化するらしい。明るくおどけた調子で話しかけてきたかと思うと、突然黙りこくって返答がなくなる。キャラクターの濃い父親を尊敬しながらも、鬱陶しいと感じているフシもある。何を聞いても「知らん」「分からん」しか答えないと思いきや、突然饒舌になって、友達やサッカーの話を始めたりもする。「平和主義でお人好し」と自己分析しているけれど、批判精神も強い。理不尽なことを言う教師には面と向かって反抗するらしい。

娘は以前、「思春期はトンネルの中で膝を抱えているようなもの」と言っていたが、息子もそのトンネルの中に入る時期なのだろう。ただ娘と違って、時々トンネルを破って出てくるので、まだ風通しは良さそうだ。思春期は麻疹のようなものと聞いたことがあるけど、上手く気持ちを体現出来ず、大人になってから反抗期?を迎えた私としては、やっぱりこの時期は大事な通過点だと納得している。
by bake-cat | 2011-06-17 08:45 | 思考の散策

最近

19日の夜、玄関の扉をそっと開けて空を見上げると、大きな満月が浮かんでいた。19年で一番地球に月が接近するスーパームーン。優しく穏やかな光が、多くの傷ついている人を励ましてくれているのだろうか。

このところニュースにくぎ付けで、気分が冴えない。平和ボケしていた日本がいきなり平手打ちをされたような、そんな状況だ。私が住んでいる地域は地震の被害は受けてないが、胸が苦しいってこういうことなのかな。同じ気持ちの人は全国に、いや世界中にたくさんいると思う。支援物資は沢山運ばれているようだが、被災地が広範囲であることや燃料不足から、隅々にまで行き渡っているとはいえない状況らしい。厳しい現実と同時に、人間として、そして日本人としての生き方も問われている。過酷な状況で苦しんでいる人たちがいる中で、ほうれんそうのことで一喜一憂したくない、という思いもある。特に安全性に問題がないとしながら出荷停止にするのは矛盾した対応ではないだろうか。本当に危険なことと、それほど問題にならないことをごちゃ混ぜで考えるのは避けたい。でもそのためには、根拠となる知識や教養、そして何よりも人間力が必要だということも分かってきた。

被災地から遠く離れた場所でも、母国に帰る外国人がいるらしい。今後、日本から輸出した食材などが売れなくなる事態は想定されるし、日本に来ることを拒否するパイロットの記事も読んだ。でも、日本人はここから離れることは出来ない。プレートが沈み込んだ所に日本という小国は存在し、天然資源も乏しく、原発による発電に頼って生きているのが現状だ。

幸い西日本は落ち着いていて、元気もある。ガソリンは高騰したが、今のところ混乱はない。ここではいつも通りの生活を続けることが大切だという気がしてきた。過度な自粛は経済生活を落ち込ませる可能性があるし、当たり前のこと、出来ることを進めることが復興に繋がる、と思いたい。
by bake-cat | 2011-03-22 16:06 | 思考の散策

列車に乗った男

偶然見たフランス映画、「親密すぎるうちあけ話」がとても面白かったので、パトリス・ルコント監督による他の作品も見たくなった。まず借りてきたのが「列車に乗った男」。映画が始まって、あっ!と思った。かなり以前に見たことのある映画だ。こんなに素晴らしい映画を何故忘れていたのかしらと思いながら、今回はじっくりと細部まで味わいながら堪能した。

主人公の初老の男性は、文学の教師として堅実な人生を歩みながら、果たせなかった夢や生きることの出来なかった違う人生を心に描きながら古い屋敷で一人暮らしをしている。そこに現れるのが、銀行強盗をするために町にやってきた拳銃を持ったイカツイ男。全く違った世界に住む2人の男の人生が交差する話を描いた作品だが、「親密すぎるうちあけ話」もやはり似たような設定だ(こちらは男と女だけれど)。どちらの作品も登場人物は少ないが一人一人が際立っている。そして小さなエピソードも味わいがあり、物語の本筋に有機的に絡み合っていて作品を面白くさせている。

主人公の台詞も一言一言が極めて印象的だ。
「人間には2種類いる。予備の歯ブラシを常備する人間と、足りなくなったら買いに走る行動的な人間だ。」
どうやら主人公は歯ブラシも髭そりも3組常備しているらしい。常備する人間は行動派に憧れ、行動派は常備することが出来ない。人間はいつも自分にないものに憧れ、そして諦める。でも、何かの偶然で違う人生に触れる機会があると、自分の中に埃をかぶりながら溜まっている欲求や憧れに改めて向き合い、それらの強さに驚いてしまう。

ルコントの作品には絶望の代わりに、人間や人生に対する甘すぎない愛情があり、人間を丸ごと包んでしまうユーモアもある。そこが魅力なのかもしれない。今年の秋はこっそりルコントの映画を見ることを楽しみたい。
さて次は何を見ようか?
by bake-cat | 2010-10-09 13:10 | 思考の散策

バカンスと遊び

開け放した窓から心地よい風が流れてくる。猛暑続きで、風の存在すら忘れる毎日だったので、今日はホッと一息つく人も多いのではないだろうか。パソコンを置いている2階の小部屋は暑く、エアコンは何年も前に壊れたまま。家電の修理は割高で、時間が経つと部品が揃わなかったりで、新しい製品に取り換える方が楽なくらいだ。一方、最近は物を捨てるのが難しい時代なので、無精な私は結局、壊れた家電をそのまま放置してしまう。壊れたエアコンは家の中にもう一台。結局それらの部屋は夏の間はあまりの暑さに、「立ち入り禁止」状態になってしまう。なんとかしなくてはいけない。だから今日のように窓から風が入って来る日は有難い。

こうやって暑い日が続くと、涼しい山の家に2~3週間行きたいね、と夫と話したりする。と言っても、私達が高原に山の家を持っている訳ではなく、それだけの休みを取れる訳でもないのだが。唯一数日の休みを取れるのはお盆前後だが、帰省客であらゆる交通機関はごった返すことが予想される。長期バカンスを取る習慣もシステムも日本にはないことが残念に感じられるこの頃だ。でも、日本にはもともと欧米的なバカンスの習慣はなく、仕事の疲れを祭りで吹き飛ばし、日常の些細なことや仕事そのものも楽しむように工夫すべきだ、と作家の玄侑宗久はどこかで言っていた。発想の転換が必要かもしれない。

中学生になった息子は初めての夏休みを迎えた。大量の宿題に休み明けテストの準備がある。所属しているサッカークラブでの練習と部活。中学生は夏休みも毎日学校だ。それでも若い彼の体力やエネルギーは消費されず、友達と川に飛び込み、小学校のグランドや道路でボールを蹴る。もうこれ以上日焼けしないだろう、と思っても更に日焼けして帰宅する。自転車での行動範囲も広がり、友達と市民プールへ行った後、更に川で泳ぐ。そしてまた真っ黒に日焼けする。子どもはバカンスなどなくても遊びの天才だ。そして40年前に毎日、川で遊んでいた夫に、思い切り飛び込むよう指示されている。同時に遠くで雷のような音がしたら直ぐに川から上がること、危ないと感じたら逆に中に潜ること、用水路の近くは避けること等もアドバイスされている。水が嫌いだった軟弱者の私には分からない話だが、少々羨ましい。
「川の中に大きなナマズがいたよ」と息子。やはりああいう外観だったのだろうか。水中でナマズと息子が一瞬見つめ合った光景を想像して苦笑した。
by bake-cat | 2010-07-29 11:48 | 思考の散策

ピカソを捨てた女性

テレビでニューヨーク在住の画家、フランソワーズ・ジローのインタビューを見た。ジローはあのピカソの6人目の女性として知られ、ピカソを語れる最後の女性らしい。88歳になるジローは画家として現在でも精力的に活躍中で、日本でも個展を開いている。ピカソと暮らした女性は後年自殺したり、精神を病んだりとその天才との生活が筆舌に尽くしがたい困難なものであったことが窺い知れるが、ジローは唯一、ピカソを自ら捨てた女性らしい。

それにしても40歳年上のピカソとの生活、しかも画家同士の日々は、その魂を食うか食われるかの極限の状態だったのではないだろうか。別れ話を持ち出した時、ピカソは烈火のごとく怒り、「ここを出て行くことは、砂漠に身を投じることと同じだ」と言ったらしい。自分を捨てようとしている若く美しいジローに対する愛と憎しみで気も狂わんばかりだったことだろう。インタビューの中で、88歳になったジローはその修羅場については触れず、「私は10年間でピカソを理解し尽くしたので、彼の元を去ったのです」と語っている。その言葉の中に、ジローの聡明さ、そして爽快なまでのしたたかさを感じた。実際、別れた後も2人の関係は穏やかではなく、別の男性画家と結婚したジローにピカソは圧力をかけて協議離婚させている。一方、ジローもピカソとの生活を描いた暴露本を出版している。

「ピカソは実に複雑な人間だった」とジローは語る。私は平凡な結婚生活などというものは、この世に存在しないと思っているが、それにしても天才画家との生活は、引き裂かれた心の傷に毒を塗られるような過酷なものだったのでは、と推測する。自ら「砂漠」を選んだジローは「砂漠などなかった」とさらりと言う。道を踏み誤らない冷静な判断力と、それを推し進める強さが垣間見れる。

ドラマのような彼女の人生に思わず興味を抱いてしまうが、画家としてはピカソの影響から一旦は足を洗い、独自の世界を築いた。大きなキャンバス一杯に繰り広げられる力強い色彩と光、その中に困難な状況から抜け出し、自ら明るい光を求めて羽ばたき続けたジローのエネルギーと知性が映し出されているのかもしれない。
by bake-cat | 2010-05-24 08:08 | 思考の散策

学校は塀の中

うちの2人の子供たちは地域の小学校でお世話になり、下の息子も来年の3月で卒業を迎える。素晴らしい先生との出会いもあったし、12年間も同じ学校に関わると顔見知りもそれなりに増えるので、愛着が芽生えないこともない。でも、学校に行く度に、胸が重く苦しくなるような感覚を覚える。何というか、トップダウンによる統制が隅々まで浸透した体制。そんなものが透けて見える。

クラス全員が一糸乱れず大きな声で音読する姿に驚いたが、挙手をする時の手のあげ方、角度、指の形まで決められているらしい。発表する時の声が小さい、と厳しく指導され、もともと声が小さい子や声変わりでしゃべり難い男の子までもが、「ひたすら大きな声」を求められる。そして「平和」「平等」「差別禁止」といったスローガンをただただ陳列するだけの道徳授業。いじめの原因になるからとあだ名は禁止され、給食の時間の半分は私語厳禁。ひたすら黙々と食べる姿。連帯責任。一方で、頑張ること、感動、そして涙がセットになっているらしい。半ば軍隊のような統制とお涙ちょうだいの精神。時々息子の手を取って逃げ出したくなるような感情に襲われるのは私だけなのだろうか。
by bake-cat | 2009-12-12 13:05 | 思考の散策

待合室で

風邪をひいた息子と真新しい小児科の待合室に座っていた。椅子の後ろに置かれたスピーカーからひっきりなしに子供の歌が流れている。ほとんどが童謡やテレビで歌われている耳慣れた歌だが、甲高い声の女性歌手や、歌のお兄さんと呼ばれた人達が歌っているCDらしい。待合室の子供たちが退屈しないように配慮したのだろうが、私には騒音としか聞こえない。なんの脈略もなく垂れ流しているような音楽を聴きながら、この春に閉院した小児科のことを思い出した。2人の子供たちがお世話になった小児科である。すでに70代と思われる院長だったが、本当に丁寧に地域の子供たちの診療に当たっておられた。まるで美容院にように綺麗な医院が増えている中、そこは建物も古く、設備も旧式だった。それでもきちんと手入れされた旧式の椅子や薬入れなどが置かれた部屋はとても落ち着ける空間になっていた。今流行りの予約制ではなかったし、院内感染も心配されるところだが、ずいぶんと母親の信頼は厚かったようである。院長が年齢を理由に閉院されると、「困った」「残念だ」という声が聞かれた。

もうあのような落ち着いた雰囲気の中で、ベテランの先生に診てもらえることはないかもしれない。こんな時代だからこそ、とても貴重な存在だったと思う。
by bake-cat | 2009-10-30 17:28 | 思考の散策

処方箋

時間の経過と共に色々な経験を積み重ねる。そして苦い体験からも多くのことを学び、それなりの知恵もついてくる。それが大人になる、ということなのだろう。ただ、多くの過去の経験が自分にべったりと張り付き、思い込みが強くなって心の関節を硬くしていることも否めない。記憶の積み重ねが人格を作っているからには、それは仕方のないことだろう。しかし、人生の折り返し地点を過ぎ、生物として物理的には下降線を辿りながら、同時にますます増えていく経験とこだわり。それらを背負いながらも、同時に解き放たれて自由な感覚で周りを見渡したい、という願いがある。それはウンザリするような現実の積み重ねの毎日の中に、もう一つ想像の世界を保ち続ける、ということかもしれない。こだわって、そして忘れる。集めたものを一旦捨てる。柔軟な心を保つための処方箋は何なのだろう。秋の夜長にそんなことを考えているが、もちろん答えは出ない。
by bake-cat | 2009-09-26 22:39 | 思考の散策

お帰りなさい

お盆を過ぎた頃から30度を超える暑い日が数日あったものの、例年になく涼しい夏となった。
娘が東京から帰省し、10日ばかりを過ごしてまた帰っていった。帰省の前日には台風が、そして当日の朝には静岡に地震が発生したため、新幹線も特急列車も大幅に遅れ、自宅に着いたのは真夜中であった。飛行機ならば1時間の距離だが、JRを使ったためにあちこちで足止めされ、11時間近くかかっての里帰りとなった。

高校時代の友人と数ヶ月ぶりに再会したり、サッカー部のOB戦を見学したり、とそれなりに楽しそうではあったが、「退屈だ」「遊びに行く所がない」を連発していた。「もう絶対この町には住めない」と言いながらも、「でも・・・将来、東京で子育てもしたくないなあ」などとも言っている。小さな町に生まれ育った彼女が精一杯都会で気張って過ごした4ヶ月だったのだろう。あっという間に基準が田舎から都会へ移り、久しぶりに見た故郷は思ったより色褪せて見えたのかもしれない。今後、まだ自分の基準が定まっていない彼女の価値観がどう変化していくのか、楽しみでもある。

私は常に旅立つ立場だった。そして、仮の住まいという軽い気持ちでこの町に越してから、長い時間が経ってしまった。時間が経っても、いや時間が経てば経つほど馴染むことの出来ないこの町で今でも「仮住まい」をしている。だからと言って帰る場所が今更ある訳ではない。でもこの家から旅立っていく人間が育ったのは、一つの大きな成果かもしれない、とふと思った。同時に、旅立たれることの寂しさも少し味わっている。それはもう自分が新しい世界に旅立つことが出来ない、という現実を少し感じているからかもしれない。相変わらず、振り向きもせず駅の改札口に消えていった娘の後姿を見送りながら、自分もこうして何度も親に背中を見送られてきたことを思い出した。ほんの少しだけ心が乾いた。
また3人でのいつもの生活が始まった。
by bake-cat | 2009-08-25 07:25 | 思考の散策

外出

f0166114_22443942.jpg
花粉症の人にはつらい季節がやって来たようだ。三角形の立体マスクをした人をよく見かける。その上、春の風に乗って黄砂が飛来するため、空気が黄色く濁ったかのように感じることがある。こういったマイナス面があるのは否めないが、それでも日増しに暖かくなっていくことがひたすら嬉しい。重い鎧を外すような開放感を感じる。

昨日は友人家族と食事をするために外出したが、エメラルド色に光る海と雪の残った山の雄大な景色を堪能した。こうして家族で町を出るのは本当に久しぶりである。

f0166114_2312111.jpg
ふくらみ始めた桜の蕾を見ていると、山頂の雪がどこか不釣合いな気がしてくるが、山の春はまだ遠いのだろう。
一緒に食事をした友人の葡萄酒さんとはかれこれ13~14年くらいの付き合いになるが、子供も同じ年で一緒に大きくなってきた。その時々での色々な出来事が思い起こされるが、2人とも来月からは大学生になるのである。酒豪の葡萄酒さんと一緒にいると、話も笑いも涙も尽きない。周りの人達に言わせると、私も彼女も物事をはっきり言い過ぎるらしいのだが、この勢いはどうやら止まらないようだ。

信頼のおける友人との時間は、私にとってかけがえのない大切なひとときである。帰りは暗くなってエメラルド色の海も美しい山も見えなかったが、温まった心に満足しながら帰路に着いた(明日からまたがんばろう)
by bake-cat | 2009-03-16 23:47 | 思考の散策