カテゴリ:迷い( 2 )

選択

5年生の息子の授業参観に出掛けた。
今日の授業は道徳。
「手品師」という話のプリントを先生が配った。

『貧しい手品師がいた。
大劇場の舞台に立つことを夢見ながらも、明日のパンにも事欠く生活をしている。
ある時、父親を亡くした寂しそうな少年に出会う。
この少年の前で手品を披露したところ、大変喜ばれ、少年も元気そうになった。
そこで、明日も手品を見せてあげる、と約束して別れた。

その夜、手品師は大劇場の支配人から電話をもらう。
出演予定の手品師が手術のために出られなくなった、舞台に穴をあけるわけにはいかない、急遽出演してくれないか、というオファーであった。
夢にまで見た大劇場・・・しかし明日は少年との約束があるではないか。

大劇場か少年との約束か・・・・』

といった話である。
途中まで聞いて、私の中にモヤモヤしたものが湧き上がった。
この話の結論がもう見えている。

当然、授業では自分が手品師の立場ならどちらを選ぶか、といった話に展開した。
大部分の生徒が「少年との約束を守る」という道を選び、大劇場を選んだ子どもは少数だった。
「約束は絶対に守るべきだ」
「少年が可哀想」といった理由が挙げられる。
大劇場を選んだ子ども達はなんとなくトーンダウンしている。
先生が話の最後の部分を配ると、『手品師はちょっと迷いはしたが、支配人にきっぱりと断って、少年のもとへ駆けつけた』という予想通りの結末が書かれてあった。

この話は5年生の道徳の副読本に収められている話である。
教材として使うならば、結論が書かれていない方が良かったな、と思った。
行間に「大きな夢を断念しても、貧しい少年との約束を守らなくてはいけない」といったニュアンスが込められており、子ども達も誘導されるままに少年との約束を選んでしまったように見受けられた。

検索してみると、この話は道徳教育の材料としてよく使われるらしく、作者は「崇高なまでの誠実な行動」を目的にこの話を書いたという。
自分の夢を犠牲にしても少年との約束を選ぶのは確かに崇高かもしれないが、そんなに簡単に結論付けていいのだろうか。
大劇場で待っている観客との約束はどうなのだろう?
自分との約束は?
いや、どちらを選ぼうが私は構わないのだが、苦渋の決断をする時に当然湧いてくる迷いや、後悔、苦しみがごっそり抜け落ちていることに違和感がある。
その部分を抜きにして、崇高なる、とか誠実といった美談に終わっている。
むしろ、2つの約束を両立させる方法を模索するとか、大劇場を選ぶとこういうプラス面もありますよ、といった複合的な視点で議論させる・・・・しかし正解はひとつではないんだよ、といった方向に向かわせてくれたら良かったと思った。

夜、娘にこの話をしたら、高校の道徳や人権教育はもっと脅迫的で、最初から結論が決まっていて、もう意見を言う隙もない、と話していた。
小学生も高学年になると色々なことが理解できるようになり、大人の言葉の裏に隠れているニュアンスや、本音と建前も感じ取れるに違いない。
むしろこの時期にもう少し自由に議論させる雰囲気があってもいいのではないか。
全ての事柄に「落とし所」がなくても構わない。
そう考えると、物事を断言することの恐ろしさも分ってくる。

そんなことを考えながら授業を聞いた。
by bake-cat | 2008-11-06 16:23 | 迷い

流れていく時間

f0166114_17265329.jpg
数日前のことだが、雲が帯状に広がって面白い形状を作っていたことがある。すぐに写真を撮ったが、偶然にも娘も同じような写真を撮っていた。いつも思うのだが子供のほうがずっと魅力的な写真を撮る。
それにしても過ごしやすい秋晴れの日が続く。一年を通して一番過ごしやすく美しい時期である、と自分に言い聞かせている。まだ暖房を入れたり、コートを着て歩くには間がある。この時期を楽しまなくてはと思いつつ、あっという間に過ぎてしまうのもこの時期である。11月下旬に仲間と演奏するコンサートがあり、その準備やリハーサルが始まっている。また子供の学校の発表会や参観日、給食試食会があるのもこの時期である。夫は相変わらず千客万来で、また自身も出張が多い。気が付くと紅葉が終わってしまった、ということがないように、時間を見つけては美しく色づき始める木々を眺めたり、今年こそ山歩きをしなくては、と夫と話したりしている。何か特別なことをしているわけではないのに、時間が手のひらからこぼれ落ちるように流れ出していくのを止められない。子供の頃は時間が経つのがあんなにゆっくりだったのに、と未練がましく思うこともある。未読の本が溜まり、あれこれ雑用の心配をしながら、遠くにいる友達の顔を思い浮かべたりしている。

高3の娘はある意味、教育熱心ではない両親に育てられ、その付けを払うかのごとく夜遅くまで勉強をしている。娘の通う高校では、ガチガチに凝り固まった頭の教師にガチガチの発想を叩き付けられる局面があり、息苦しくなると、アバウトで原始的な夫と私に助けを求めてくるのである。「だいたい受験問題は答えが決まっているではないか。そういうことばかりを、ガチガチに型にはめて小さいときから塾に通ってまで鍛え上げるのは良くない。本当の学問は答えが決まってないことをやるものだ。答えの決まったことだけをやるような人間になるな」と相変わらず夫は繰り返す。それは事実かもしれないが、受験まであと数ヶ月しかない娘に原始原則論を繰り返すのは酷ではないか、と心配することもある。しかし娘も随分と成長したものだ。興味深そうに父親の話を聞いている。数年前の彼女だったら反抗的な態度を剥きだしにしてむくれていただろう。今では聞く耳を持ち合わせている。厳しい現実の受験システムと若干浮世の世界に漂う親とのギャップの中で、バランスをとりながら、案外それが生き抜きになったりしているようである。自分自身で硬くなりそうな思考の関節を揉みほぐそうとしているようにも見える。

彼女はあれこれ悩んだ末に建築科を受けることにしたらしいが、「本当に建築をやりたいのか自分でも分からない」と呟いている。「今、決めつける必要はない。17歳で自分のことが分かるはずもないし、人生も決まらないんだよ」と私達は何度も繰り返す。本当に若いのだ。彼女が私達の年になる頃、世の中がどのようになっているのかは想像も出来ない。既成の概念に囚われすぎることなく、自分の頭で考えて生きていって欲しい、と私達はどこかで願っているようだ。

f0166114_1727264.jpg


よく通る道端にこんもりとコスモスが・・・・やっと写真に収められました。
by bake-cat | 2008-10-15 21:27 | 迷い