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お気に入り

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以前から好きな陶芸家の窯元に久しぶりにお邪魔した。職場から車で20分ほどだろうか・・・2年前に引っ越したという新しい工房を探してウロウロしたが、小高い丘の中腹にオレンジ色の素敵な建物が見えてきた。車を止め、工房とご自宅のある建物に通じる坂を上った。周りを大自然に囲まれた素晴らしい環境に心が躍る。大地のエネルギーを存分に吸収しながら創作活動を続けておられるのだろう。本当に心が洗われるような環境と空間。

中では窯出しを終えたばかりの陶器がたくさん並んだお部屋とアトリエを見せていただいた。美しく謙虚なカップや中皿たち、そして大胆な大皿、モダンな酒器や洒落た花器など。迷いながらもこの日は渋い色合いの中皿を2枚購入した。その後は奥様が入れてくださったお抹茶と和菓子を奥の和室でいただいた。本当に心が癒される時間だった。

この2枚のお皿は暫く我が家のダイニングテーブルの上で展示状態だったが、日常使いとして活躍し始めた。右のやや光沢のあるお皿は友人からいただいた「黒豆の枝豆」がとても映える。そして左の渋いお皿はどーんと麻婆丼をよそって豪快に食べてみた。

お気に入りのお皿は見る楽しみ、手にとって感触を味わう楽しみ、そして使う楽しみがブレンドされている。
by bake-cat | 2011-10-31 13:01 | 発見

赤い空

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数日前だが、あまりに夕焼けが美しかったので、2階の窓から写真を撮ってみた。写真は少しぼけてしまったが、真っ赤に染まった空と流れる雲の美しさにしばらくその場を離れることが出来なかった。視線を下に降ろすと、道路で遊ぶ子供の姿も赤く染まっているかのように見えた。刻々と空はその表情を変えていくが、一日の終わりにこういう贈り物をしてくれることもある。忙しい夕刻は、その変化に気付く暇もなく過ぎていくけれど、この日は出会えて良かった。
by bake-cat | 2010-06-27 22:12 | 発見

あれっ?

f0166114_21253049.jpg地元の博物館で休日の午後を過ごした。企画展を堪能して外へ出ると、庭の片隅に遠慮がちに佇む懐かしい姿を発見した。

あれっ?久しぶり!古い友に再会したような気持ちになり、思わず携帯で写真を撮った。町中の郵便ポストは四角い箱のような形をしているが、昔はポストと言えばこういう丸い形をしていたではないか。何時の間に選手交代をしたのだろうか。まだ現役として使われている地域もあるのだろうか。

このポストは博物館の庭でひっそり息づいていたが、まだまだ展示される歳ではない、と嘆いているようにも見えた。
by bake-cat | 2010-06-06 21:42 | 発見

朝のならわし

人には誰でも苦手なものがある。朝、いつものように洗面所で適当な化粧をしていたが、先日東京で娘に薦められて買ったアイシャドーがなかなか優れ物であることに気付き始めている。最近は化粧をしたり、スカートを履いたりする若い男性がいるそうだが、それは兎も角、男の人は化粧をしなくていいので羨ましい、と思うことがある。特に夫はスキンヘッドなので、旅行の時も、下着とPCをささっと鞄に詰めて、身軽に出掛けることが出来る。化粧ポーチだの、ヘアケアグッズだの、コンタクトレンズの洗浄液だの、と身の回りに子分を引き連れて歩く必要がない。

話が逸れたが、私は化粧品売り場が苦手だ。あの蛍光灯の光も嫌だし、だいたい山のようにある品物から何を基準に選んだら良いのか、検討がつかない。いつも使っている化粧品がなくなると、溜め息をつきながら薬局の片隅に置いてある品物を適当に選んで購入してくるのが常だ。美味しいチーズを買ったとか、欲しかったCDを買った時のような満足感はない。前述のアイシャドーはそんな情けない母親に呆れて、娘が薦めてくれた一品だ。東京の新宿伊勢丹に足を運んだのは何年ぶりだっただろう。相変わらず気が乗らない私を、娘が化粧品売り場の片隅のコーナーへ連れて行ってくれた。そこにはプラスチック容器に入った化粧品が色別に何十種類も並べて置いてあった。まるで絵具や、布地のサンプルを並べるような感じで、そのカラーヴァリエーションを眺めているだけでも楽しい体験だった。ちょっとした工夫や展示方法で、私のような気の乗らない消費者も楽しめる空間になるのだ。お値段も手頃だったし、そのアイシャドウを使う度に、面倒くさがり屋の私でもほんの少しだけ華やいだ気分になる。
by bake-cat | 2010-05-28 10:17 | 発見

青い月

昨日は雪が降ったが、今日は久しぶりに太陽が顔を覗かせた。新学期が近いようで遠く、春も近いようで遠いこの時期は何かと落ち着かない。でも娘は東京に帰り、夫も今週は県外。息子と二人の静かなまったりした時間が続く。奥の部屋には真新しい中学の制服と、靴、鞄類が順番待ちをしているかのように並んでいる。通学用の新しい自転車も買った。息子には勉強に部活にサッカーに忙しい日々が待っているが、今はほんの僅かの休息の時間だ。

私は4年間のある任務を終え、今日はその最後の会議に出席した。役割を終え、大きな荷物を降ろしたような安堵感を覚える。この「荷を降ろす」感覚を覚えることが最近は多い。でも一つの荷を降ろすと次はどんな荷を担ぐことになるのか、と考えたりしている。そして、そんなことを繰り返しながら時間はどんどん過ぎていくのだろう。今日は一つ年を取った日だったので、色々な思いが湧いてきたりした。帰宅して、息子と2人で行きつけのラーメン屋に行ってささやかな夕食を取った。夜のラーメン屋は家族連れで賑わう昼間と違って、場末感が漂い、疲れを癒してくれる。

帰り道、車の中で息子が「あっ、見てごらん」と大きな声を上げた。見ると大空に少し青味がかった満月が浮かんでいるのが見えた。幻想的な赤い月とは違い、ゆったりした穏やかな光で町を包んでいる。不意に現れる美しい月に出会う喜びは格別だ。そして月に見守られながら家路を急いだ。
by bake-cat | 2010-03-30 22:42 | 発見

門出

f0166114_2138491.jpg息子が小学校を卒業した。2人の子供たちが12年間も通った地域の小学校だが、一言では言い尽くせない12年間だったと思う。卒業式は天候にも恵まれ、親子共々清々しい気持ちで学校を後にした。部屋の隅には新調した学生服や中学校の体操服、新しい靴が入学の日を待っている。

この写真は自宅の庭に咲いた水仙の花。10年以上前に母の実家から持ち帰り、自宅の庭に移植したものである。母の実家は後継ぎがなく、家は閉められた状態で何年も経っていたが、その住人がいなくなった家の前には沢山の水仙が咲いていた。当時、母は私の家で病気治療中だったが、その母を元気付けたくて、そっと2種類の水仙を持ち帰り、自宅に植え直した。最初の1~2年はどれも元気に花をつけたが、そのうち1種類は全く花を咲かせなくなりそのまま何年も過ぎてしまった。葉っぱだけで花を咲かせない水仙を見る度に、寂しい気持ちがしたものだ。ところが、今日になって可憐な花を咲かせていることに気が付いた。昨日は初夏のように温かい日だったが、それにびっくりして花を咲かせたのだろか。10年ぶりに咲いた美しくて可憐な花を見ながら、古い友に再会したかのような懐かしくて温かい気持ちで満たされた。これからは毎年その可憐な姿を見せてもらいたい。
by bake-cat | 2010-03-21 22:18 | 発見

魔の3時間

春が近づいてきた、庭の水仙が咲きそうだ、と楽しい記事を書きたいところだが、腰にコルセットを巻きながら、情けない気持ちでパソコンに向かっている。半年前くらいから断続的な痛みや腰に何とも言えない違和感を感じていたのだが、いつものように「何とかなるさ」といういい加減な気持ちでケアを怠っていたところ、最初はじわじわと、そして一気に襲われた。「魔の3時間」と呼ぶ朝の激痛。まともに歩くことも出来ず、台所に立ってパンを焼くことさえ出来ない。ところがある時間帯が過ぎるとスーッと痛みが引き、「さてと・・・」と立ち上がっていつもの日常業務をこなすことが出来る、という不思議な腰痛。調べてみると睡眠中は体温が下がって体が冷えることに加えて、睡眠が浅かったりすると体の疲れが充分にとれないらしい。副交感神経から交感神経へのスイッチがうまく切り変わらない時は心臓の動きも弱いとのこと。その上、最近夏樹静子さんの「椅子がこわい」という腰痛体験記を再読したばかりだったので、もしかしたら心理的なストレスが原因なのでは、とあれこれ探る毎日。しかし、毎朝恒例の「魔の3時間」が昼にも登場するようになり、重い腰を上げて(本当に重い腰だ!)しぶしぶ病院へ行った。

腰のレントゲン写真を見ながら、短髪でエネルギーが満ち溢れているような初老の整形外科医が、横目でじろっと私を睨みつけながら「あなた、腰痛は本当に初めて?あなたの腰の骨、曲がってますよ」と一言。交感神経だの、ストレスだの、理屈を百並べても、骨に異常があれば仕方がないだろう、と反省しながら腰の牽引をしてもらい、コルセットを巻いてもらった。牽引をしてもらうと、何か分らないが体に最近感じたことのない開放感が溢れ、骨が喜んでいる気配がある。またコルセットも具合いが極めて良い。病気になる前の予兆を見逃さないようにといつも思っているのに、その予兆を無視した自分や、あきらかに運動不足で筋力が落ちているであろう最近の生活態度を顧みて反省している。痛い目に合わないと懲りないらしい。それにこの病院嫌いも頑固の特徴かもしれない。

朝の激痛からはまだ解放されていないが、「魔の3時間」は「魔の2時間」になりつつある。痛みが軽い時は適度に動いた方が調子が良い。「コルセットや牽引が効くなら、普通の腰痛だと思うよ」と20年前に腰の手術をして以来、ずっと腰痛に悩まされている夫が言った。彼の腰痛はなかなか複雑だ。夫婦で腰痛を抱えるのは不本意だが、これも仕方がないことだ。

骨が定位置に戻るまで、気長に骨の声を聞きながら、養生したいと思う。
by bake-cat | 2010-03-15 11:32 | 発見

白鳥の湖・・・

f0166114_15273735.jpg白鳥といえば、「白鳥の湖」に代表されるように、水の上を優雅に泳ぐ気品に満ちた姿を連想する。美の象徴というイメージもある。しかし身近で見たこの白鳥は、「グワー、グワー」と鳴きながら、半ば攻撃的な様子。落ち着きがなく、辺りをキョロキョロしながら、小さな目を三角にして睨みつけてくる。

湖の近くに住む女性が声をかけてくれた。白鳥は寒い国には帰らず、この湖に留まるらしい。ここの夏の暑さは格別だが、どのように凌いでいるのだろうか。女性が食パンを持ってくると、「お母さん、お腹空いたよ、はやくちょうだい」とばかりに白鳥が鳴き始めた。息子もパンをちぎって与えたが、この白鳥君は意外と不器用。彼(彼女?)は慌てるだけで、周りの鴨たちの方が行動も機敏であっという間に餌はなくなった。その上、近視なのだろうか?こうして餌付けをするから、北国へ帰るのが面倒になってしまうのかもしれない。

こんなに身近で白鳥を見たのは初めてだった。長い首から背中にかけてのラインは美しく、泳ぐ姿はまた格別。でも、案外性格は落ち着きがなく、荒々しいことを発見した。そこが愛嬌のあるところかもしれないが。でも、白鳥だって自然界の生き物。美しいだけじゃ生きていけないよね。
by bake-cat | 2010-03-05 16:17 | 発見

家の中で

天気予報を見る時には故郷の北海道の町をチェックするのが習慣になっている。
すでに雪マークがついているし、最低気温は氷点下。きーんと肌を刺すような冬の寒さが思い出される。それに引き換え、こちらはここ数日間、太陽が顔を出し、日中は15度以上の暖かさである。師走が近づいているが、まだまだ穏やかな天候が続いている。

部屋を掃除したり片付けることで、心の中まで浄化されると聞いたことがあるが、本当にその通りだと思うことが多い。切れた電球をそのまま放置していたり、簡単な雑用を溜めたりしていると、潜在意識の中にじわじわと積もるものがあり、それが自分を疲労させることに気付いたりする。特に紙のゴミは人を苛立たせるらしい。仕事関係の書類、毎日届くダイレクトメールや請求書、広告、子供が学校から持ち帰るお便りやチラシなど、ちょっとでも油断すると紙のゴミはあっという間に増えてしまう。時々エイッと大量に捨てるのだが、今日はその中から図書券とギフト券を発見。自分のだらしなさに呆れたけれど、ご褒美をもらえたような気もした。怠け者でなかなかスタートのエンジンが切れないが、一旦始めるとストップがかけられなくなる。この性格をうまく利用して、片付けと掃除にフル回転したいと思う。次は息子の部屋に山と積まれる玩具に目を付けている。息子は一部の玩具にはまだ執着しているが、彼を説得してあれらを整理したいと狙っている。

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話は変わるが、友人からワインのデカンタをいただいた。時々飲む安い南米ワインがデカンタをすることで、驚くほど美味しくなった。ほんのちょっと空気に触れるだけで、まろやかになることを発見。日常飲むテーブルワインはこれで充分すぎるほどだ、と夫が喜んでいる。大きなガラスのデカンタに収まるワインの姿にもどことなく愛着を覚える。
by bake-cat | 2009-11-28 07:55 | 発見

細い太陽

46年ぶりに皆既日食(ここは部分日食だけど)が見られるという水曜日。でも考えてみるとその時間、私は職場の半地下にある窓のない部屋で仕事中。一生に一回かもしれない自然現象である。仕事仲間のA女史と相談して仕事を一時中断することを決定した。学生に「日食を見よう」と誘うとえっと驚いた表情。耳を澄ましても「日食」について話している人がいない。誰も興味がないのだろうか。

学生達を誘って外へ出て、空を見上げる。辺りがどんより暗くなりつつあるが、厚い雲に覆われてなかなか太陽が顔を出さないな、と思った瞬間、雲の隙間から欠けた太陽が姿を現した。「おおっ」と歓声が上がる。歓声を聞きつけて、人も増えてきた。鳥が神経質に飛んでいる姿も見えた。南の島で完全に太陽が隠れると、辺りが暗くなるという話にゾクゾクする。鳥や動物達も驚いてざわつくのかしら、と想像を膨らましたくなる。この日は三日月のように細くなった太陽を見れて満足した。自然界での単なる偶然に人はどうしてこんなに感動するのだろうか。細い太陽を見ながら「太陽あっての私達」という思いが膨らんだ。〇〇あっての・・・といった表現はよく聞くが、太陽あっての・・・・は誰もが否定できないだろう。まだ暫くは、がんばって燃え続けてもらわなくては。

息子は学校で観察させてもらえたらしい。興奮して話続け、ネットでも調べている。でもクラスや担任によってはそのまま通常の授業をしたのとこと。46年ぶりのほんの30分間なのに。校長先生の一言で教科書から離れて、自然界の魅惑的な現象に触れる経験ができるのに、と残念に思った。
by bake-cat | 2009-07-25 00:06 | 発見